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それでも、まだドラマは続く・・・日本vsUAE(1-1)・・・(1997年10月27日)

これで「また」自力二位が消えてしまいました。それでも、ドラマは続きます。勝ち点「1」差。残り二試合。何が起きるか誰にも分からないことだけは確かなことです。

この試合、全日本は「闘志」は見せました。その闘志は、守備に如実に現れます。全員が、「ボールを奪い返すため」に、積極的に「考えながら」プレーしていたのです。特に前半の出来には素晴らしいモノがありました。いったい何本「インターセプト」したことか・・。守備的ハーフの本田は、実は「前へ上がったリベロ」としてプレーし、中田、名波、北澤の三人のハーフが、その前で、縦横無尽のアクティブ守備を展開していました。もちろん、UAEが守備的にゲームを進めたこと、また「タテのロングボール」を多用したこともありましたが、特に前半は、UAEが中盤で有効なパスを回すシーンは皆無でした。ただボールを奪い返した後が・・。

ロペスの先制点はスーパーゴールでした。それは典型的な「カウンターアタック」。カズから出たタテパスに追いつき、思い切りよく打った「カーブ」シュートは、とにかく素晴らしいものでした。それでも、ゲームの流れの中でつくり出したチャンスは、そのゴール、後半20分の名良橋のロングシュート、また何本かの「まあまあ惜しいセンタリングシュート」場面だけ。後は、まったくといっていいほどチャンスを作り出すことが出来ません。もちろん、8人で、とにかく「積極的に」そして「ハードに」守備をするUAEは素晴らしい「ディフェンシブ・サッカー」を展開したのですが、それでも彼らの守備は、基本的には「ゴール前を固める」という性格のもの。そこへ「著突猛進」だけでは、跳ね返されてしまうのも道理です。とにかく「闘志の空回り」といってもいいような「歯がゆい攻撃」でした。

中盤で、効果的にボールは奪い返すが、その後は、アナタまかせの「安全パス(横パス中心)」が目立ってしまいます。それも、「ボールの動き」が、一回ごとに停滞してしまうような「もったり」したモノ。素早いダイレクトパスなどは、ほとんど見られません。また「受け手」の方も、「爆発的なフリーランニング(パスを受ける動きのこと)」ではなく、何となく「本当にパスを受ける気があるのか?」と疑いたくなるような「ぬるま湯・フリーランニング」です。もちろん、「決定的スペース」への「決定的なフリーランニング」などほとんどありません。また、後方でパスを回す方も、前方が詰まっているのだから、一度、最前線へ「付けて(足元への強烈なパス!そして『パス&ムーブ』)」、そのパックパスをロングシュートするとか、味方の最終守備ラインまでボールを戻し、そこからの(強烈なフリーランニングをする)最前線プレーヤーへの「ロングパス&競り合い」からの「こぼれ球」を狙うために、タイミング良く、「爆発的に押し上げる」とか、はたまた、中盤から『勝負のドリブル』を仕掛けることで、相手守備組織を撹乱するとか、何らかの工夫(アイデア)が必要なのに・・。とにかく、横パス(安全パス)を出せる味方を捜し、そしてそのまま止まってしまう。タテのロングパスも、「止まった最前線選手」への、まさに「放り込み」。また、前方へ行きはじめたら「もう止まらずに行きっぱなし」。何という工夫(アイデア)のなさでしょう。

また、こんな「緊迫したゲーム」なのですから、とにかくフリーキックやコーナーキックが重要なことは書くまでもありません。実際にUAEは、前半のフリーキックから同点ゴールを決めましたし、後半の残り時間わずかという時間帯にも、コーナーキックから「ほとんどゴール」というヘディングシュートを、日本ゴールのバーに、ブチ当てました。彼らの、『パスを呼び込む』ような「瞬間的な動き」を見ていると、リスタートの重要さをいかに理解しているかが分かります(彼らは、そのワンチャンスのみを狙っていたとも言えます)。それに対して、日本の「リスタート」の単純なこと・・。CKやFKでの決定的な瞬間に、相手の「前」に入る工夫はほとんどありませんし、『ここに来い!!』という『パスを呼び込む動き』も単純です。

UAEが、リスタートを「最大のチャンス」と見ていたのと同様に、それを「もっとも危険な瞬間」と見ていたことは、彼らの「リスタート守備」からも、うかがい知ることが出来ます。日本チームでは、(蹴られるまでの間)どうしてもボールを見てしまう傾向が強いのですが、UAEの選手たちは、ほとんどボールを見ずに、まずマークする相手だけをしつこく追い回します。そして、蹴られた瞬間には、とにかく日本選手たちよりも先にボールに触ってしまうのです。

この試合、日本チームは、「ボールのないところで勝負が決まる」というサッカーのプリンシパル(原則)を証明したといえます。とにかく、「ここに来るかもしれない」、「ここに来い!」という『ボールのないところでの動き(フリーランニング)』、つまり、『クリエイティブなムダ走り』の積み重ねが、勝てるサッカーのベースだということです。

私は最近、「オンラインマガジン・2002 Japan」で、個人事業主としてのプロ選手、というテーマでコラムを書いています。個人事業主は、「良い仕事」をしてナンボ。仕事の内容が悪ければ、(基本的には)次から仕事は来ません。ですから彼らは、「組織の目的」を達成するために、持てる能力を「自ら」最大限に発揮しようとします。時には、大きな「リスク」を伴うのですが、それがなければ、良い仕事(成果)など望むべくもないのです。日本代表の選手たちには、その「個人事業主としての意識」が欠けている・・・。いま私は、そう感じています。一生懸命に頑張っていれば、いつかは誰かが認めてくれる・・、プロは、そんな「甘い」世界ではありません。全力を出し切るのは当然です(また、優秀なプロならば、サボっていても肝心なところでは『成果』を挙げることが出来るモノです)。それにプラスして、自分をアピールしなければ「次の仕事」は付いてこないのです。組織の目的を達成するための「個人事業主としての自分の能力のアピール」。その意味は書くまでもありませんよね。

引退したブッフバルト選手が、日本人は、確かに一生懸命にプレーしようとはするけれど、ズルさというか、自分自身で考えながらプレーすることが苦手のように感じることがよくあったヨ・・と言ったことがあります。それは、自分から積極的にサッカーに取り組むのではなく、どちらかというと「やらされる」サッカーになってしまっているということです。サッカーは「だまし合いのボールゲーム」、「やらされて」いるようでは、常にだまされ続けることになってしまいますよネ。そこら辺に、日本サッカー界(日本社会)の『体質的な問題点』が見えかくれするではありませんか・・。

この試合の結果、韓国が、フランスワールドカップへの切符を手にしました(予選グループ一位通過)。そして、その韓国が「二位争いのドラマ」において、もっとも重要な「役割」を演じることにもなりました(日本とUAEは、韓国戦を残している)。冒頭にも書きましたが、『ドラマは続く』のです。




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