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レッズのステージ優勝とチャンピオンシップのプレビューについて、サッカー専門新聞「エル・ゴラッソ」で発表した文章を載せておくことにします・・(2004年12月1日、水曜日)

まずレッズのステージ優勝について発表した文章から・・。

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 「我々は、魅力的な攻撃サッカーでセカンドステージ優勝を勝ち取った・・」。浦和レッズ監督ギド・ブッフヴァルトが、優勝を決めた後の記者会見で胸を張っていた。彼らが展開したサッカーは、まさに解放された攻撃サッカー。それは、日本サッカー界にとっても価値あるものだった。

 攻撃的なサッカーは、ある意味、リスクへのチャレンジとも表現できる。チーム全体が前へ重心がかかれば、後方のディフェンスが薄くなってしまうというわけだ。だから多くの監督は、リスクを回避する方向でチーム戦術を練る。攻め上がるときは慎重に・・。しかし、そんな安全プレーを意識させ「過ぎた」場合、選手たちが過度に守りに入ってしまうのは目に見えている。攻めへ飛び出していかなければならない状況なのに、「慎重に・・安全に・・」という建て前に逃げ込むように消極プレーに終始してしまう選手たち。リスクを避けようとするのは、人間本性のマジョリティーということだ。

 だからこそギド・ブッフヴァルトは、冒険プレーへのチャレンジ姿勢を「より強く」要求しつづけたのだ。「前にスペースがあるのに行かないのは、どう考えても不自然・・リスクを負わないサッカーなんて存在しない・・」。以前ブッフヴァルトと対談したとき、語気を強めて語っていた。それこそ不屈のドイツ魂を象徴する言葉だ。選手たちは、リスクにチャレンジしていくことでのみ発展ベクトルに乗ることができる。だからこそ監督には、リスクを共有するという積極的なバランス感覚が求められるのだ。

 「それでも、全員が攻め上がってしまったら次の守備はどうするんだい?」。そんな私の質問に、すかさずブッフヴァルトが答えたものだ。「だからこそ、全員の守備意識を高めることが重要なんだよ・・」。攻撃は誰にとっても楽しい。だから選手たちはバランスを考えずに攻め上がり「過ぎて」しまうものなのだ。そうなったら、相手にボールを奪われた後のディフェンスに問題が生じてしまうのも道理。ブッフヴァルトは、そんなリスクを熟知しながらも、選手たちを解き放つことの方を大事だと考えた。そして同時に、「解放サッカー」にとってもっとも重要なバックボーンである、主体的な守備意識の強化にも着手したのである。そこでは、『様々な刺激をともなったチームマネージメント』が展開された。

 連続的な「有機的プレー連鎖の集合体」であるサッカー。だからこそ、互いに使い・使われるというメカニズムに対する深い理解と、それを基盤にした、攻守わたって主体的に仕事を探しつづける積極プレー姿勢が決定的に重要な意味を持つ。そのベースが整備されてはじめて、素早い攻守の切り換えや、主体的な汗かきディフェンスといった目立たない実効プレーが活性化していくものなのだ。そして、次のディフェンスに対する互いの信頼が深まり、後ろ髪を引かれないリスクチャレンジマインドが高揚していく。レッズ選手たちには確信がある。チャンスを見計らって最前線まで押し上げていっても、次の守備では、仲間が確実にカバーしてくれる・・。

 規制サッカーを前面に押し出していた前任者からチームを引き継ぎ、選手たちを「解放」しただけではなく「感動」へと導いたギド・ブッフヴァルト。リスクへのチャレンジを主体的に楽しめるまでに発展したのだから、レッズのサッカーが魅力的に盛り上がるのも道理だ。私は、レッズが成し遂げた成果のもっとも大きな要因は、指揮官のサッカーに取り組む基本的な志にあったと思っている。

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 まあこの文章は、基本的には私のHPでいつも書いているエッセンスをまとめ直したわけです。スペース的に入らなかったけれど、もちろん現場についてはゲルト・エンゲルスの貢献も忘れてはいけませんよね。

 また、チャンピオンシップに関する「こんな文章」もエル・ゴラッソで発表しました。

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 「対レッズのテーマはエメルソンに集約される・・」。マリノスの中澤が、ある雑誌のインタビューで、そんな内容のことを言っていた。

 今、レッズの攻撃が、ちょっと「個」に偏り過ぎていると感じる。もちろんギド・ブッフヴァルトが志向するのは、人数をかけた組織パスプレーと、才能ベースの個人勝負プレーがうまくバランスした攻撃的なサッカーであることに変わりはないのだが・・。

 セカンドステージ序盤で観る者を魅了したレッズのサッカーには、指揮官の志そのままに、まさに解放されたダイナミズムが満ちあふれていた。縦横無尽に動きまわる選手たちが織りなすアクティブなコンビプレー。そんな組織パスプレーのなかに、エメルソン、永井雄一郎、田中達也といったドリブラーたちの単独勝負がうまくミックスしていく。「組織と個」の高質なバランス。当時のレッズは、内容でも、結果でも、まさに向かうところ敵なしといった快進撃をつづけていた。

 そのサッカー内容が、山瀬功治をケガで失ってから少しずつ暗転しはじめる。組織プレーをリードしていた山瀬の離脱は、殊の外大きなダメージだったのだ。人数をかけた組織パスプレーが減退し、逆にドリブラーたちに頼る傾向が強くなっていく。もちろんそれは、相手守備にとって思うツボだ。

 たしかにレッズは、相手が攻め上がってくれば、空いたスペースを活用して個の才能を爆発させられる。しかし逆に、クレバーにカウンターの流れを断ち切り、「個」を抑えてしまう忠実な強化守備と対峙したら、組織プレーによる変化が乏しくなってしまった分パワーダウンは否めない。リーグでのマリノス戦しかり。ナビスコカップ決勝でのFC東京戦しかり。

 フォックス(したたかな勝負師の意)岡田武史が率いるマリノスにとって、レッズの攻撃力を効果的に封じ込めたセカンドステージでの対戦は成功体感そのものだったに違いない。彼らは、レッズを抑えるコツを確信した。冒頭に紹介した中澤の発言がそのことを如実に代弁している。「今の」レッズの仕掛けは、エメルソンに代表される個人勝負に偏りすぎ・・ドリブル突破さえ身体を張って抑えれば、「そこ」でボールの動きが停滞してしまうからサポートする周りの足も止まる・・そしてヤツらは心理的な悪魔のサイクルに落ち込み、逆にこちらは蜂の一刺しカウンターチャンスが広がる・・。

 もちろんギド・ブッフヴァルトも、「個」に偏り過ぎている今のレッズの仕掛けを修正しようしているはずだ。その意図は、同じように前線の才能を抑えにきたグランパス戦(第13節)の、特に前半の攻撃内容に現れていた。ドリブル突破を阻止されていたエメルソンや田中が、シンプルにボールを動かすことで周りの味方の「動き」を誘発しようとするなど、「オトリ」としても機能していたのである。それが、アレックスのクロスにエメルソンがディングシュートを放ったり、永井のクロスから決定的チャンスが演出されるといった、今のレッズでは希な「組織的崩し」につながった。また二列目に入った山田暢久のプレーにも、積極的に動きまわってパスターゲットになったり、守備へ下がって両サイドや守備的ハーフを前線へ送り出すなど、組織プレーを活性化させようとする明確な意志が感じられた。相手を欺くタテのポジションチェンジ。それこそ効果的な攻撃の変化である。たしかに負けはしたが、グランパス戦は、チャンピオンシップへ向けた有意義な学習機会だった。ギド・ブッフヴァルトと彼のブレインの確かなウデを感じる。

 両監督の狡猾なゲームプランがぶつかり合う我慢比べ。そこでは、この両チームが対戦したリーグ戦でのゲーム構図とはひと味違ったコンテンツが楽しめるはずだ。

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 また別のメディアでも、チャンピオンシップのプレビューを発表しますが、それは明日にでも紹介します。内容は、基本的には同じロジックフローですが、少し視点を変えてあります。またそれに、明日の時点で考えた内容も補足するつもりです。では・・

 



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