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ジーコジャパン(48)・・大いなる期待を抱かせられた後の、ナイアガラの滝ほどの落差がある落胆だったから、ホント疲れた・・(日本vsシンガポール、1-0)・・(2004年11月17日、水曜日)

まったく〜〜っ! 大いに期待させられるダイナミックな立ち上がりから、先制ゴールまで奪い取ってしまった日本代表。でもその後には大きく落胆させられるサッカー内容へと急降下してしまって・・。そんな疲れるゲームコンテンツだったから、創作意欲を殺がれてしまうのも道理じゃありませんか。

 そして監督会見の後、ちょっと落胆気味に愛車のオートバイを駆って帰宅したのはいいけれど、腹が減っては戦ができないと、遅いディナーを食べにレストランへ。でも食事をしている間に、どんどんとモティベーションがダウンしつづけてしまって・・。一度でもそんな悪魔のサイクルに落ち込んでしまったらもう大変。書きはじめるためのモティベーションを充填し直すのに大変なエネルギーが必要になるんですよ。フ〜ッ!

 まあ、とにかく簡単にでもいいからレポートしておかなければと、エイヤッ!でキーボードに向かった次第。まずは、「大いに期待させられたダイナミックな立ち上がり」について書きつづったメモをご紹介します。ホント、大いに期待させられたのですよ。

 このゲームの基本的な構図・・日本よりも明らかにチカラの劣るシンガポールが、何も失うものがないと積極的に攻め上がる・・だからこそ、日本も吹っ切れた攻めが展開できる・・日本は、フォーバックとはいっても、まったくといっていいほど最終ラインの機能性が試されるというシーンはない・・そんな相手を押し込んでいく展開だから、両サイドがどんどん押し上げていくのも道理・・ということで、ポジショニングバランスのイメージとしては「ツーバック」ということかな・・そんなガチンコの攻め合いという展開(日本がゲームを牛耳ってはいるものの、シンガポールも人数をかけて攻め返そうとしている!)・・そこでは中盤でのせめぎ合いになるわけだが、そうなったら、チカラが優る日本がゲームをコントロールするのも道理・・日本は、攻めに人数を掛けられているし、(相手が攻め上がってくることで)スペースもうまく見いだせるから、人とポールが動きつづけるハイレベルな組織プレーが機能している・・とはいっても、前の四人(玉田、本山、小笠原、藤田)だけでは、決定的スペースを簡単には突いていけない・・やはり、両サイドだけではなく、遠藤と中田浩二という後方からの影武者がオーバーラップしてきたときにはじめてチャンスらしいチャンス演出できる・・。

 どうですか・・高まりつづける期待にせっつかれ、自然とキーボードの上を指がダンスしつづけていた湯浅の積極マインドを感じ取れるでしょうか。でも前半13分に玉田のゴールが決まってからは、徐々に指が止まり気味になっていってしまって・・。この試合には、人とボールが突っ走るダイナミックな組織サッカーに個のエスプリがミックスするという吹っ切れたダイナミックサッカーを日本全国が期待していたのに・・。

 結局は、立ち上がりのペースを維持できず、足許パスのオンパレードになっていいく日本代表。最初の時間帯は、まさに「渦巻き」のように交錯しつづけた主体的なフリーランニングや爆発的なパス&ムーブ。それが、本当に急激に姿を消していったのです。その原因ビールスは何だったのか・・。期待していたパス&ムーブの動きが出てこなかったり、期待していた決定的フリーランニングを走りきらなかったり等々、本当に小さなキッカケなんですよ、それは。そして、その「受け身&消極ビールス」が、急激に蔓延していく。その現象こそ、サッカーが有機的なプレー連鎖の集合体であることの証でした。

 もうそうなったら、いくらチカラの差があるとはいっても、そう簡単にシンガポール守備ブロックのウラを突いていけるはずがない。これでは、スペースである程度フリーでボールを持つという仕掛けの起点を演出できないのも道理。要は、シンガポール守備ブロックの「眼前での仕掛けプレー」ばかりということです。これでは、簡単に仕掛けパスをシンガポール選手に奪われてしまうのも道理というわけです。

 結局は、組織コンビネーションでのウラ突きチャンスを作り出したのは立ち上がりだけ(小笠原の抜け出しからのシュートと玉田の先制ゴールくらい)。まあセットプレーからの松田のヘディングと、小笠原の中距離シュートのこぼれ球を玉田が詰めたチャンスはありましたがネ。そしてドン詰まりの後半へ入っていくというわけです。

 私は、前半立ち上がりのゲーム内容を観ながら、「ジーコの意識付けが功を奏している・・これは、素晴らしいサッカーが展開されるに違いない・・何といっても、シンガポールも積極的に攻め上がろうとしているからナ・・」なんてことを思っていました。たしかに試合前のジーコの意識付けは明確にグラウンド上の現象として現出していました。でも、前半の15-20分過ぎあたりからは、どんどんとサッカー内容が減退し、前半の終わり頃には、もう最低のスタンディングサッカーに落ち込んでしまったのですよ。だからこそ、後半の日本代表に何らのポジティブな変化が観られなかったことには心底落胆させられたのです。そこには「ハーフタイムの奇跡」の兆候すら感じられなかった・・。

 そして後半14分には、しっかりと人とボールを動かそうとしていた藤田が引っ込み、代わりに大久保が登場してくる。違うんじゃないの? 交代は、小笠原だろう!!

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 最後に、サッカー人としての使命感で、小笠原のプレー姿勢を責めます。もちろんそれは、彼が希有な才能だからこそ。いまの小笠原は、完璧に「停滞」しているのです。それでは、あの才能がもったいない・・。

 私は、彼のプレーを観ながら、こんなメモを取っていました。『全体的な運動量が少な過ぎるし、攻守にわたって勝負所に絡んでいこうとか、自分が仕掛けのコアになってやろうとかという積極的な意志が凝縮された全力ダッシュも十分に出てこない・・能力的には藤田の上をいく小笠原なのだから、ゲームペースが減退しはじめた状況では、ヤツがリーダーシップを発揮しなければならないのに・・結局は波に流されているシーンばかりが目に付く・・もっと自己主張を!』

 たしかに、攻撃でも守備でも、「行かなければならないシーン」では勝負するし、ボールがないところでのパスレシーブの動きもみせます。でもそれって、ほとんどが、誰が見ても「決定的なチャンス」というシーンばかり。我々が本当の意味で評価するのは、味方にスペースを作るフリーランニングとか、忠実なパス&ムーブなどの、ボールがないところでのクリエイティブなムダ走りにも主体にチャレンジしていく「意志」と実効あるアクションなのです。それらは、(一見は)無駄なアクションに見えるかもしれないけれど、結局は、味方の次の実効プレーのキッカケになるものです。でも、そんなキッカケプレーにトライしようとする主体的&積極的な意志が、小笠原のプレーに感じられない。ここのところ、アントラーズの勝負強さに陰りが見えはじめてきたのですが、その原因の一端も、小笠原にあり・・ということなのかもしれません。優れたサッカーは、クリエイティブなムダ走りを積み重ねることでしか実現できない・・のです。

 小笠原は、もっとリスクにチャレンジしていかなければりません。そろそろ、「オレはパサーだ・・」なんていう変な思い上がりから解放されなければならないということです。彼には、もっともっとクリエイティブなムダ走りが必要だし、エゴプレー(リスクチャレンジ)も必要。とにかく、たまに全力疾走でフリーになってボールを持っても、そこから勝負するのではなく安全な展開パスをつなぐのでは如何ともし難い・・。

 最後に、ある雑誌に発表した一文をご紹介して、このコラムを締めることにします。『現代サッカーにおける進歩のベクトルは、「テクニシャン」に対して、より広範なパフォーマンスを求めるようになった。より多くの運動量・・「アリバイ」ではない実効あるディフェンス参加・・シンプルパスやボールがないところでの着実なパスレシーブアクション・・等々。そんな組織プレーが充足されてはじめて、彼らの「天賦の才」に対して正当な評価とレスペクトが与えられるのである。シュートを打つという攻撃の目的と、相手からボールを奪い返すという守備の目的を達成するプロセスにおいて、どのくらい実効あるプレーが展開できているのか・・』

 



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