気候的に厳しい条件を前提にしたゲーム戦術。前半は、たしかにボールなしの動きがあまりにも単発シンプルだったという不満は残るけれど、彼らの戦術的な意図は表現できていたとすることもできそうです。確実なボールキープから(確実なポゼッションから)、タイミングを見計らって勝負のロングタテパス(ロングスルーパス)やサイドチェンジパスを繰り出してチャンスにつなげていく・・。まあ、オマーンの勢いに呑み込まれ、受け身に足が止まってしまった後半は、ジーコジャパンに対する(継続的な?!)不安感を増幅させてしまうような低迷サッカーになってしまったけれど、前半に限れば、気候条件も加味したゲーム戦術が、ある程度は機能していたと言えそうだということです。
それにしてもオマーンは強い・・というか、元々高い個人能力をベースに戦術プレーを洗練させていくなど、どんどんと強くなっていると表現した方が正確かもしれない・・。チェコ人のマチャラ監督は、選手たちとうまくコミュニケーションを取りながら、若手の能力をしっかりと発展させているという評価が定着しているそうな。ナルホド・・。
この日のイラン戦でも、攻守にわたる局面プレーでの自信レベルは高い、高い。守備では、しっかりと次の勝負所ピクチャーを描写できている・・だからこそボールなしの守備プレーがハイレベル・・だから強力なイラン攻撃陣も攻めあぐんでしまう・・また攻撃でも組織プレーと個人プレーのバランスがとにかく高質・・よく「人とボール」が動いている・・そして、そんな組織プレーが、最終勝負での個人勝負につながっていく・・彼らの攻撃には、組織的な仕掛けあり、個人勝負での仕掛けあり・・とにかく、発展しつづけるマチャラの若武者軍団は脅威だ・・。
攻撃での「展開・仕掛けフロー」では、オマーンは、今大会でも目立つ存在でしょう。いくら相手を甘く見たイージーな心理状態でゲームに臨んだとはいえ、基本的には高い地力を備えたイランとの対戦だからこそ、オマーンの強さがホンモノだと実感させられたというわけです。特に、イランに「2-1」と追いかけゴールを決められてからのゲーム内容が秀逸。彼らの自信レベルが大きく高揚していることを感じさせてくれました。しっかり守ってからの確信の飛び出しと危険なカウンター。何度も決定的なカタチを作り出していましたよ。結局引き分けに終わってしまったとはいえ、オマーンの強さはホンモノなのです。
これは、10月13日のマスカットでのドイツワールドカップ地域「一次」予選の最終決戦が・・。とにかく、日本代表の監督・選手たちが、オマーンはものすごく強いチームだ(どんどん発展しつづけている危険この上ないチームだ)という事実を体感したことが、今大会のもっとも大きな意義の一つだったということです。
日本代表は、オマーンとのW杯地域予選ホーム第一戦でのゲームフロー(試合の流れ)をしっかりと反芻しておかなければなりません。このイラン戦でも、最後は「高さ」にやられてしまったオマーン。埼玉競技場でのゲームでは、後半に登場した久保のアタマが、オマーン守備ブロックのバランス感覚を「乱し」ましたからネ。このイラン対オマーン戦でのイランの同点ゴールを、しっかりとイメージしておかなければなりません。でも・・ホント・・心配です。
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さてジーコジャパン。
ゲームコンテンツを観察しながら、またまた「自由というテーマ」に思いを馳せていました。日本代表のプレーが本当に鈍い・・闘う意志のレベルが低く、流れのなかで積極的に仕掛けいく意図や意志が感じられない・・。これはもう「暑さという気候ファクター以前」の問題です。それは、「やろうとする意志・意図」を持っているかどうか(実際にはうまくいかないにしても、仕掛けていこうとしているかどうか・・)という視点をベースにした評価というわけです。
自由の大前提は「義務の遂行」。でもサッカーでの義務プレーとは、攻守にわたるボールがないところでの目立たない汗かきプレーがメインだから難しい。何せサッカーの基本メカニズムは、勝負していかなかったり、ボールがないところで仕掛けていかなければミスをすることもない(ネガティブ評価を受けることもない)という厄介なものですからね。だからこそ、選手たちに積極的に「義務プレー」にチャレンジさせるのが監督のもっとも重要なお仕事になるというわけです。その義務プレーまでも「自由にどうぞ・・」ってなことでは、選手たちの意識が(攻守にわたるセルフモティベーション能力が!)最高レベルに到達していない限り、チームプレーが機能するはずがない。人間は、やはり楽な方へなびくモノだから・・。決してサボろうというネガティブな意図はないにしてもですよ!
監督は、選手たちの「人間的な弱さ」とも戦わなければならないということです。もう一度くり返しますけれど、この「弱さ」とは、積極的にサボろうとするネガティブな意図ではなく、意識や意志の低さとかいった類のものです。その弱さを自覚させ超越させることで選手たちのリスクチャレンジ意識を活性化することこそ監督の本質的な仕事(=本当の意味でのモティベーション)というわけです。
後半の交代によって、たしかに足許パスは回るようになりました。でも、そんなふうにボールを動かしたからといって、流れのなかで決定的スペースを突いていけるわけじゃない。日本に必要なのは、パサー(パサーイメージが強すぎる選手タイプ)じゃなく、ダイナミックなパスレシーバーであり、中盤でのディフェンスパワーを倍増させられるだけの汗かきプレイヤーであり、後方からの福西や遠藤の飛び出しを演出できるだけの高い守備意識をもったプレイヤーなのに・・。
とはいっても、日本はセットプレーからどんどんと加点していきました。まあそれも、勝負という視点では確かな武器だし、それでW杯地域予選に勝ってくれたら当面のミッションはクリアされるというわけだけれど・・。とはいっても、ジーコジャパンが、日本サッカーのイメージリーダーになったり、そのレベルアップに大きく貢献できるというわけじゃないという事実は残るわけです・・。
ジーコジャパンが抱える「隠された危機ファクター」の根は深いと不安がつのる湯浅なのです(チェコ戦やイングランド戦によってオブラートが厚くなった?!)。私は、次のイラン戦で、そんな彼らの課題が(オマーン戦につづいて)白日の下にさらされ、全員がその課題のクリアに全力を傾注するようにチームの雰囲気が活性化されることを願って止まないのですが・・。