「よしよし、いいペースだ・・やっと立ち上がりからフルパワーのサッカーを展開できるようになった・・ディフェンスを前面に押し出す積極サッカーでゲームに入っていけるようになった・・どうして最初から、このアグレッシブなプレー姿勢を押し出すことができなかったのか・・まあ、グラウンド上の選手たちのプレーコンテンツは、ベンチを映す鏡ということか・・まあ、ベンチは、いろいろな戦術要素を考え過ぎていたということなんだろう・・そしてもっとも大事な、サッカーは本物の心理ゲームだという大原則にモヤがかかってしまった?!・・最終準備段階では、繰り返し山本監督が、闘う姿勢が大事だとは言っていたけれど、結局そのアグレッシブマインドを、明確に行動に現れてくるまでに高揚させられなかったということなのかもしれない・・」、そんなことを考えていたところまでは覚えているのですが・・。たぶん、日本チームの攻守にわたるダイナミックなプレー姿勢にちょっと安心して気が弛んだのかもしれません。
そして、(ビデオを)最初から見直す気にもなれず、そのまま寝入ってしまったという体たらく。気付いたらもう1100時でしたからね。急いで起き出したけれど、この日はちょっと忙しく、夜までビデオを観る時間がとれずにいたという次第。ホント、面目ない。
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この試合での若武者たちは、前述したように、立ち上がりからダイナミックなサッカーを披露しました。特に中盤ディフェンス。
「個を組織で抑える・・」。よく使われる表現だけれど、一体その意味は? 要は、個々のディフェンスプレーがしっかりと有機的に連鎖しているということです。チェイス&チェックアクション(仕掛けの起点)、次のインターセプト狙い、次の集中プレス狙い、ボールがないところでの相手フリーランニングの抑え・・等々のディフェンス要素が、本当にうまく、効果的に連携しつづけ、その集中レベルが最後まで途切れなかった・・。とにかく、相手にボールを奪われた次の瞬間でのディフェンス集中度には素晴らしいものがありました。全員が、オレがボールを奪い返してやる!というマインドに溢れていた。それこそ、本物の「アグレッシブ・マインド」。やはりサッカーでは、守備コンテンツによってゲームの善し悪しが決まってしまうということです。
もちろんオリンピック代表の若武者達がイメージしていたのは、なるべく高い位置でのボール奪取。その基盤は、言うまでもなく、最終ラインを積極的に押し上げるコンパクト守備です。それがうまく機能したからこそ、次の仕掛けにも、人数をかけた素早いコンビネーションという「勢い」を乗せることができたというわけです。素早く、広い人とボールの動き・・相手守備の薄いゾーンへ素早くボールを動かしてしまうイメージシンクロプレー・・それをベースにした組織的な崩し・・また局面での個のプレーでも、明確にリスクへチャレンジしていくマインドが見えていた・・等々、この試合に臨んだオリンピック代表に、フィリップ・トルシエ時代にはあった、吹っ切れた(ガムシャラな)チャレンジ精神と、それを基盤にしたチームダイナミズムを感じた方々も多かったに違いありません。全員に共通するリスクチャレンジマインド・・それです。
山本監督は、最初から、こんなサッカーがやりたかったに違いない・・ただそこには、最後の最後までチーム内の闘うマインドを限界を超えるところまで高揚させることに苦しみつづけたという現実があった・・新しい選手やオーバーエイジ選手たちのインテグレートという刺激を与えつづけたけれど、結局は、攻守にわたって吹っ切れた自分主体の勝負プレーをつづけられるところまで選手たちの意識を高揚させることに苦しんだ・・停滞した雰囲気に呑み込まれることなく、自分主体で気持ちを高めていくセルフモティベーション能力の発展という課題が最後まで残ってしまった・・。
監督の本当の仕事は、選手たちの「人間的な弱さとの闘い」・・だからこそ、「瞬間的」に選手たちから恨まれたり憎まれたりすることに「も」余裕をもって耐えられなければならない・・そんな人間心理のダークサイドパワーまでも最大限に活用することができなければ、決してギリギリの勝負に勝つことはできない・・もちろん、その人間心理のダークサイドマインドが、監督に対する不信にまでふくれ上がらないようにするためのベースは、監督の人間としての誠実さであり、(その証としての)日常の高質な言動の積み重ねにある・・。ビデオに映し出される、若武者達の立派な闘いを観ながら、そんなコトにも思いを馳せていました。