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オリンピック決勝レポート・・世界トップとの「僅差」というテーマに思いを馳せながらの観戦でした・・(アルゼンチンvsパラグアイ、1x-0)・・(2004年8月28日、土曜日)

ちょっと蛇足ですが、チャンピオンズリーグ予備予選のマンチェスターユナイテッド対ディナモ・ブカレストを観ながら考えていたテーマから入ることにしましょうか。そのゲームは、3-0でホームのマンUが「内容的にも順当」な勝利を収めたのですが、そのプロセスを観ながら「いったい、この結果のバックボーンになった一番大きな差はどこにあるのだろう?」なんてことを考えていたというわけです。

 世界レベルの国際化・情報化によって高次平準化する世界サッカー・・そこでは、以前のような「絶対的な差」は存在しない・・その事実は、今回のヨーロッパ選手権でもアジアカップでも、はたまたオリンピックでも明確に見えていた・・その事実は、共通理解になりつつある・・でも、その「僅差」の本質的なトコロは?・・もちんケースバイケースで、強みと弱みのコンテンツは大きく相違するのだけれど、結果にかかわる最も大きな要因は何??・・なんてことを考えはじめてしまったというわけです。

 まあ結論からすれば、身体的、技術的、戦術発想的なものなど、サッカーファクター全般の差なんていう「玉虫色の表現」になってしまうのだけれど、局面で素晴らしく上手いブカレストなのに、どうして試合全体の流れでは、大きな差を付けられてしまうのだろう・・なんてネ・・。

 そして、ボール絡みとボールなしの攻守にわたる局面プレーを、その視点でより集中して観察しはじめたというわけです。ブカレスト選手たちの局面でのボール扱いは、決してマンU選手たちに劣っているわけじゃないけれど、やっぱり一つひとつのプレーが(その入り方も出方も)遅い・・要は、次のパスが出るまでのタイミングがワンテンポ遅いということだけれど、それには、ボールホルダーの次のプレーに対するイメージが一定していないこと、周りのフリーランニングが活発ではないことが原因にある・・まあフリーランニングにしても、要はボールがないところでの次のプレーに対するイメージ構築がベースだから、それが活性化しない原因はボールホルダーと同じトコロにあるということだろう・・

 とにかく、チームに統一された展開イメージが確立されていないということがその背景にあるということ・・逆に、もしその統一イメージがあった場合、ある程度のリズムで人とボールを動かせるのに・・そのレベルが(マンUと比較して!)低いから、次のパスを簡単に読まれてマンUのディフェンスに抑えられてしまう・・ドリブルにしても、まさに単発・・周りの味方がサポートしないことでドリブラーのプレー選択肢が広がらない・・だから最後は「そこだけ」に集中されて潰されてしまう・・こんなだから、マンU守備ブロックの「ウラ」を突いていけるという雰囲気さえ感じられない・・

 また守備にしても、ボールホルダーに対するチェイス&チェック、協力プレス狙い、ボールなしのマンマーク、インターセプト狙い等々、それぞれの(ケースバイケースで決まってくる)守備のファクタープレーの量と質が違うと感じる・・

 マンUの方がより優れたトレーニング(チーム戦術イメージトレーニング)を積み、攻守にわたるイメージシンクロレベルが高いと感じる・・要は、攻守にわたる戦術的なファクターこそが僅差の本質ということになるのだろうか・・あ〜〜あっ、やっぱりいつもと同じ玉虫色の表現になってしまう・・まあ攻守にわたるボールがないところでのプレーの量と質が総体的なサッカーの質を決定する(根本的には、選手たちの守備意識のレベルがサッカーの質を決定する)というメカニズムには変わりはないのだけれど・・

 難しい・・やっぱり「世界トップとの僅差の実質的コンテンツの傾向(=僅差の本質)」を表現するのは、それがチームに応じて千差万別だから難しい・・フ〜〜ッ!・・でも、だからこそ様々なスリートーを発見できるし、それこそがサッカーが秘める無限の広がりを持つ魅力の本質なんだろうな・・それしても、やっぱりフ〜〜ッ!・・

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 何故こんな「」蛇足」から入ったかって? もちろんそれは、オリンピック決勝のアルゼンチン対パラグアイに、その「世界トップとの僅差」を感じていたからですよ。それを、どのように表現するのが正解なのかというテーマとストラグル(格闘)していたというわけです。たしかにパラグアイは強いチームだから、アルゼンチンとの間に、マンUとブカレストほどの差はなかったけれど、それでも世界トップのアルゼンチンとは、明らかな「僅差」が横たわっていた・・。

 あっと・・その僅差を、アルゼンチンのテベスやダレッサンドロに代表される「個の勝負能力の差」というふうに表現するのは簡単ですし、それも僅差のファクターではありますが、やはりここでは、より戦術的な視点に特化させたい・・。

 ゲームは、ボール奪取コンテンツや、決定的シュートチャンスを演出するプロセスのコンテンツなど、深い戦術的な実力差が背景に横たわる「グラウンド上の現象面」において、やはりアルゼンチンの方が明らかに上。またまた錯綜した「僅差コンテンツ?!」。まあそういうことです。

 要は、アルゼンチンの守備意識の方が、より強固で、より柔軟であり、だからこそ、それをベースにした次の攻撃にもより多くの人数をかけられるし、人とボールの動きが活発なハイレベル組織プレーを展開できるだけではなく、最終勝負シーンでも、組織パスプレーと個人勝負プレーをバランスよく仕掛けていけるということです。

 でも、何かこう・・まだ消化不良。とにかく、僅差は、攻守にわたる「小さなコト」の積み重ね・・とか、身体能力レベル、技術レベル、戦術発想レベルが同じ場合、最後の「僅差」を演出するのは「個のチカラ」等々といった一般論から外れたところで、その「小さなコト」とか「個のチカラ」というモノの本質を探りたい・・それらを、より分かりやすく簡単な言葉で表現したい・・という欲求がつのるということです(それが5秒間のドラマという発想の原点?!)。

 ありゃりゃ・・文章コンテンツがこんがらがってきてしまった・・。でも勇気をもって、この文章をアップしておくことにします。もちろん、自分自身のノート(モティベーション)として・・。

 



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