「単発」の意味は、カウンター以外の、選択肢が限られている組み立てベース攻撃ということでしょうかネ。たぶん私は。その表現を「そんなふうに」使っている。ドリブルでも、そのまま単独で突破していくしかなかったり、パスの可能性にしても一つしかなかったり(パスレシーブの動きが一つしかない)・・。要は、数的に不利な状況であるにもかかわらず仕掛けていかなければならない状態。だから相手守備も「余裕をもって」守ることができるというわけです。ちもろん偶発的なチャンスができることもあるということで、ポルトもその可能性に懸けていたんだろうけれどネ・・。
この試合は、戦前の予想通り、オンセ・カルダスが守り、ポルトが攻めるというゲーム構図になりました。もちろんそれは表面的な現象。オンセ・カルダスは、ポルトに対しても、十分互角に戦う瞬発的なチカラはあったけれど、そこで発生するリスクをテイクできるだけの継続的キャパシティーが足りないという判断で(?!)、彼らをコパ・リベルタドーレス優勝に導いた「守ってワンチャンスのカウンターを狙う」というサッカーに徹していたというわけです。つまり、決してポルトが「チカラ」でオンセ・カルダスを押し込んでいたというのではなく、オンセ・カルダスが、常にスッと引いてしまうから全体的に押し上げるしかないという状況だったわけです。
もちろんポルト選手たちも「そのリアリティー」を明確に体感しています。だから、オンセが仕掛けてくるカウンターに備えるように、なるべくポジショニングバランスを崩さないように、足許パスをつないで慎重に攻め上がるというわけです。そして最後は、一発(単発)ラストパスで仕掛けたり(単発)ロングシュートを放ったり・・。
ということで、カウンターとセットプレーを除いた両チームの攻めは、まさに「単発」ということになってしまったというわけです。だから私は、チェイス&チェックアクションと、周りの味方が展開するボールがないところでの守備など、両チームのディフェンス「ばかり」に目を凝らしていましたよ。それは、それで見所十分でした。
それにしても「単発」は退屈。単独ドリブルではほとんど崩していけないから、やはり「パス」で最終勝負を仕掛けていくのが現実的だけれど、頼りのパスレシーブの動きが「単発」ではネ・・。それでも2-3度は、動きつづけるステーションが複合的に組み合わされたことで「フリーでのパスレシーブ」も演出されました。そしてスタンドが「ドッ!」と沸く。もちろんそれは、誰の目にも明らかなチャンスになったからですが、そんなシーンを見ていて、やはりシュートという攻撃の目的を達するための当面の目標は、(スペースで)ある程度フリーでボールを持つことなんだ・・なんてしい原則を反芻していましたよ。そこに至るまでには、もちろんドリブルで相手を抜き去ってもいいし、パスをレシーブしてもいいけれど、やはり現実的にはパスで「ある程度フリーなボールホルダー」を演出するというのが現実的だというわけです。
とはいっても、後半の終盤や延長の後半では、ポルトも吹っ切れたリスクチャレンジを魅せつづけていました。「もう時間がない・・こうなったら、前へ突っかけていくしかない・・」ということで、攻撃に対するサポートエネルギーも倍加したというわけです。でも、にもかかわらず「最終勝負への仕掛けプロセス」では、どうもまだ「単発」という印象を拭い切れなかった・・。それは、強引なドリブル勝負ばかりが目に付いたり、仕掛けのパスがうまく連鎖しないなど、それまでの悪い流れが、人数が揃っても尾を引きつづけたからに他なりません。残念・・。
それにしてもポルトのセットプレーは危険そのものでした。それも、相手GKやディフェンダーがあれほど優秀にもかかわらず・・。大したものだ。スペースを狙ったり(複数の選手たちによる瞬間的な走り込みの迫力は並じゃない!)、相手GKへ直接飛んでいくような鋭いボールを蹴ったり(例によっての、GKの眼前スペース狙い・・ボールが到達する最後の瞬間に黒い影がよぎる!)、はたまた、ヘディングが強い味方選手を直接狙ったり。変幻自在だから、ポルトのセットプレーのときには、何かが起きるかもしれない・・という期待感が高まったものです。実際、ポストシュートや爆発フリーヘディングシュートなど、何度も決定機を作り出していましたからネ。でも結局は・・。
全体を通して「戦術という枠内での緊迫」といったコンテンツだった最後のトヨタカップ。まあ、トヨタカップが、そのミッションを終えたことを象徴するような試合内容だったということでしょうかネ。とはいっても、PK戦には、ものすごくハイレベルな勝負コンテンツが詰め込まれていましたけれどネ・・。