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05/06_チャンピオンズリーグ準決勝の1・・「現象」と「価値」の相克というエキサイティングマッチ・・(ミラン対バルセロナ、0-1)・・(2006年4月19日、水曜日)

さて、「現象」と「価値」の相克。このテーマについては、前回のチャンピオンズリーグコラムを参照してください。

 まさに、「そのような展開」になった勝負マッチ。攻守にわたって、ボール周りにしっかりと人数を掛け、人とボールを活発に動かしつづける組織プレーと、ロナウジーニョの魔法に象徴される(これからはメッシの魔法も帰ってくる!)世界の頂点に君臨する個人勝負プレーがうまくバランスするバルセロナ(もちろんアウェーゲームだから、それなりのゲーム戦術ファクターは感じられる・・この試合では、より注意深いポジションチェンジ&サポートマインド・・)。

 それに対してミランは、バルセロナの守備ブロックが全体的にある程度下がるまでは「次の守備での人数&ポジショニングバランス」を意識し、決してタテのポジションチェンジにトライせずに決定的スペースへの一発パスを狙う(とはいってもこの試合では、ホームゲームなりの積極性は感じられる・・チャンスを見計らった押し上げ&オーバーラップの勢いには、彼らのコンセプトを超越するエネルギーが感じられる・・)。

 舌っ足らずの表現しかできない自分に苛立つ湯浅は、「この両チームのサッカーには、まさに筆舌に尽くしがたいコノテーション(言外に含蓄される意味)が内包されている・・」なんていう言い訳フレーズに逃げ込んだりして・・あははっ・・。とにかく、両チームとも、守備でも、攻撃でも、これこそ最高峰の「五秒間のドラマ!」っちゅう、ハイレベルな意志と戦術的な意図が詰め込まれた魅惑的な勝負プレーを展開するのですよ。観ていて、自然と手に汗握っちゃうよね。

 そんな流れのなかで、ロナウジーニョの魔法が炸裂し、そこからのスーパースルーパスをジュリが決めて決勝ゴール・・。もちろんその後は、ミランが総力を挙げて攻め上がり、バルセロナがカウンターを狙うという展開になっていきます。でも、主体的にゴールを奪いにいかなければならないという展開になったとき、ミランが持てるチカラを存分に発揮できるのか・・といったら、やっぱりネガティブな評価の方が先行してしまう。

 そこでは、追い越しフリーランニングとか縦横のポジションチェンジなど、ボールがないところでのプレーの量と質が十分ではないと感じるのです。だからボールも活発に動かない・・だからバルセロナ守備ブロックの発想のウラ(≒決定的スペース)を突くことができない・・。もちろん、一瞬のダイレクトパスが抜け出したアンプロジーニにピタリと合うといった絶好のチャンスは作り出したけれどネ(また、セットプレーからのマルディーニのヘディングもあったけれど・・)。

 それにしてもバルセロナのカウンターの鋭いこと。やはりカウンターの絶対的ベースは「才能」だよね。また、ガンガンと前掛かりになっているミランの勢いを受け止めるだけではなく、そこからの組み立てで、スムーズに人とボールを動かしてしまうバルセロナの高質な組織プレーにも舌を巻いてしまう。忠実なパス&ムーブも含むハイレベルなボールなしのアクション。そして素早くシンプルなボールコントロール&パス。フ〜。

 そして、そんな組織プレーにミックスされる、ロナウジーニョという天賦の才。決勝ゴールのアシストや、その後のポストシュートなど、やはりロナウジーニョはバルセロナの美しさを象徴する存在です。

 もちろん、ロナウジーニョが演出する「美しさという価値」は、チームメイトたちの攻守にわたる汗かきサポートがあっての賜物だけれど、特筆なのは、バルセロナの場合、そんな「心理的な環境のバランス」が崩れるような兆候がまったく感じられないこと。普通だったら、いくら「個の才能」がレベルを超えていたとしても、いつかは、様々な戦術的&心理的な不協和音の元凶になるものなんだけれどネ。

 そのことについては、組織プレーの天才という名声を欲しいままにしたライカールト監督のウデに拍手を送らなければなりません。彼が現役だった当時のオランダ代表では(もちろんミランでも)、ルート・フリットやファン・バステンといった天賦の才を、彼が後方からコントロールしていたからね。だからこそ、「天賦の才の実効レベル」をいかに高揚させていくべきかという深〜いノウハウを、自身の体感として蓄積しているっちゅうわけです。もちろん広範なインテリジェンスも持ち合わせているしね。バルセロナでのライカールト体制は長期政権になる・・? わたしは、ライカールト監督に、バルセロナという価値を、世界サッカーのためにも発展させて欲しいと願っていますよ。

 さて、世界サッカーにとっての大いなる価値でもあるバルセロナが決勝へ勝ち進むことへの楽観論が先にくる第二戦だけれど、その相手は「究極のリアリズム」だからね、まさに何が起きるか分からない。わたしは、第二戦では、「ミランの反抗」が観られるに違いないと思っていますよ。だからこそ、そこでの、観る側にとってのコンセプトワードは、「美しさと勝負強さの相克」っちゅうことになる。サッカーの歴史のなかで繰り返し議論されてきた古くて新しいテーマ。楽しみで仕方ない。

 



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