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2006_ヨーロッパの日本人・・相変わらず高質な「意志の量と質」を魅せつづける中田英寿だけれど・・(2006年4月18日、火曜日)

さて、久しぶりの中田英寿。全体的な印象は、まさに標記のごとくです。攻守にわたる、ボールがないところでの強烈な自己主張。それが、あれほど「空回り」しつづけているいるにもかかわらず、自分のイメージに忠実なプレーを体現しようとするエネルギーレベルが大きく減退することはない。さすがに「意志の人」じゃありませんか。わたしは「そのこと」に感動していましたよ。まあ・・ね・・サッカーは、監督さんが描く戦術イメージで全てが決まってくるからね。勝負優先の、(デイヴィーズのアタマを狙った!)放り込みサッカー・・じゃね。

 ボールを持ったとき、中田は、まず、遠くの決定的ゾーンへの勝負(ロング)パスや効果的なサイドチェンジをイメージすると言います。えっ・・? だったら、「このボルトンサッカー」にうまく適合するはすじゃないか・・って? いやいや、たしかに結果としての現象が同じような見え方になるケースは多いだろうけれど、そのスタートラインの「発想」が違うのですよ。常に中田は、相手守備ラインが描くイメージのウラを突くことを意識している・・だから、中盤で人とボールをしっかりと動かすことで「相手ディフェンスの対処アクション」を誘発させる・・そして、チャンスを見計らった「一発」を送り込む・・ってなイメージかな。ちょっと舌っ足らずだけれどね。

 要は、あくまでも、中盤における人とボールのシンプルな動き(組み立てリズム)を演出することがベースにあるっちゅうことです。それに対してボルトンの場合は、トップ選手と、それをマークする相手ディフェンダーが、何秒も前から、「来るぞ!」と分かるようなタイミングのロングボールを入れ、それをトップ選手(ほとんどはデイヴィーズ!)が競り合ってこぼれたところを(またはデイヴィーズが意図的に落としたボールを)一気に・・というイメージがメインなのですよ。要は、典型的な、イングランド的「放り込み攻撃」・・。正々堂々と正面から?! でもサ・・本来サッカーは、クレバーでフェアな「だまし合い」のボールゲームであるべきなんだからサ・・。

 パス&ムーブも含めたボールがないところでの動きの積み重ねをベースに、中盤で人とボールを動かしながら(状況の流動的な変化を演出するなかで)相手守備ブロックの「穴」を突いていく。もちろん、この「相手守備ブロックの穴」は、様々な意味を内包する「動き(変化)」を主体的に演出することで自らが作り出すモノ・・というのが基本的な発想です。中田のイメージの中でのサッカーは、スペースをめぐる攻防とか、スペースマネージメントなんていうことになるだろうからね。

 わたしは最初の頃、ボルトンの(アラダイス監督の)戦術イメージのなかでも、中田の発想が存在感をアップさせていくに違いないと確信していました。実際に、彼がボルトンで仕事をはじめた当時は、その「芽」も明確にあったわけだからね。ただ結局は、「結果」との兼ね合いで、本当の意味でのサッカーの質や魅力の発展を志向する発想が隅に追いやられてしまった(勝負志向に凌駕された?!)っちゅう構図なのかもしれないね。

 たまにボールを持ったときの中田は、明確に「スペースマネージメント・サッカー」への意志を前面に押し出していたし、そこを基盤に鋭いコンビネーションがスタートしかけた・・なんていうシーンもありました。とにかく中田のプレー内容では、相変わらず、「コア」がしっかりしていると感じていた湯浅なのです。彼も、自身のホームページで書いているように、調子は決して悪くない。だからわたしはまったく心配していません。もちろんワールドカップへ向けてネ・・。




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