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2006_ワールドカップ日記・・やはり実質的なサッカー内容には大きな差があった(フランス対ポルトガル、1-0)・・(2006年7月5日、水曜日)

これで、2000年ヨーロッパ選手権の決勝と、1998年フランスワールドカップ準々決勝の再現が成りました。決勝で、フランスとイタリアが対峙することになったのです。面白くなってきた。

 フランスとポルトガルの準決勝だけれど、やはりサッカーの質では、フランスの方が一枚も二枚も上手でした。「質」の意味は、もちろん、様々な意味を内包するバランス感覚。まあここでは、組織パスプレーと個人勝負プレーが、より高い次元でバランスしているフランスと理解してください。立ち上がりから、両チームともに積極的に仕掛けてはいくけれど、その仕掛けコンテンツは、明らかにフランスの方が上なのです。

 しっかりとした人とボールの動きによって、ポルトガル守備ブロックを振り回してスペースを活用してしまうフランス。スペースは、もちろんポルトガル守備ブロックの中にも出来るし、そのウラにも出来る。フランスが仕掛けていくコンビネーションでは、常に「そこ」をイメージしているのです。そのイメージ創造の中心にいるのが、言わずと知れたジネディーヌ・ジダン。とにかく、すべてのフランス選手をジダンを探し、彼にボールを預けることで、うまく彼を「使う」のです。そんな仲間からの信頼に対し、ジダンも、モティベーションあふれるプレーで応える。いまのフランスは、心理的な善循環が回りつづけていると感じます。

 それに対してポルトガルは、やはり「ドリブラー」が多すぎる。フィーゴ、クリスティアーノ・ロナウド・・。私が言っているのは、チームメイトたちが、彼らがボールを持ったら、必ず「まず」ドリブルで仕掛けていく・・という固定イメージを持ってしまっているということです。当然、ボールがないところでの動きに対するモティベーションも、かなり抑制されてしまいますよね。ボールがないところでのアクションに対する意志が、余計なドリブルによって減退してしまうのです。

 フットボールネーションのエキスパートは、「ドリブラーは1.5人まで」という表現をするのですが、それもまた「イメージ」的な人数であり、その程度のドリブル「量」が適当だということを意味します。ちょっとファジー。要は、ドリブルの意味を選手にしっかりと理解させるために利用する便宜的な人数ということです。

 ポルトガルの場合は、フィーゴとクリスティアーノ・ロナウドが、ドリブルで仕掛けていき、最後の瞬間にスルーパスを出したりバックパスを落とすことで味方のシュートチャンスを演出したり、そのままクロスを上げたりするというイメージなんだろうね。実際、クリスティアーノ・ロナウドからの横パスを受けたデコが惜しいシュートを放ったし(バルテズがセーブ)、彼からのパックパスを受けたマニシュが、これまたキャノンシュートをブチかましたからね(バーを少し越えた)。

 とはいっても、その仕掛けはフランスの守備ラインの「眼前」で展開されるから、それには明確な限界がある。待ち構えるのは、テュラム、ギャラス、ヴィエラ、マケレレという強者たちで構成される中央カルテットだからね。ドリブルを主体に攻め込んだ場合、簡単に抜け出せたり、シュートチャンスを作り出せるはずがない。

 そして、ポルトガルの攻めが、どんどんと矮小化していく。前半では、前述したように、ドリブル突破と最後の瞬間での決定的パスという選択肢もあったけれど(≒攻撃の変化≒相手にとって危険度が高まる)、時間の経過とともに(一点ビハインドを追いかけるという状況になって)、よりゴリ押しの個人勝負が増えていったのです。

 後半にポルトガルが作り出したのは、偶然要素のチャンスが一回(クリスティアーノ・ロナウドのフリーキックから最後にフィーゴがヘディングしたシーン)と、左サイドバックのヌーノ・ヴァレンテがオーバーラップし「シンプルなタイミング」でクロスを中央へ返した、必然的なチャンスメイクの二回だけでした。観ているこちらも、その仕掛けコンテンツでは、寸詰まりになるのは道理だと納得していた次第でした。

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 さてイタリアとフランスの決勝。イタリアのツボが光り輝くのか、復活したフランスが、「最後のチカラ」を振り絞って往年のスーパーサッカーを披露してくれるのか。

 ポルトガル戦後半のフランスは、たしかに余裕をもってポルトガルの攻めを受け止めてはいたけれど、押し返すチカラは十分ではなかった。それが年齢に因ることは明らかな事実ですよ。しっかりと押し返せれば、相手も全体的に下がらざるを得ないからね。

 それが、ポルトガルが上がりっぱなしで攻めつづけるモノだから、ゴリ押しの個人勝負にも勢いが増していくのですよ(だからフランスも、もう少し攻め上がることでポルトガルを去勢しなければならなかったのに)。まあ、フィーゴやクリスティアーノ・ロナウドだけじゃなく、交代出場したシモンもゴリ押しタイプだから助かったのかもしれない。何度も、ドリブルする彼らが、3-4人のフランス選手に取り囲まれるというシーンが続出したモノです。

 ところで、そんなシーンって、2002年のブラジル対トルコでもあったよね。イージーマインドのデニウソンが(相手をバカにするような)安易なドリブルをつづけていたときに、怒りに燃えた5人のトルコ選手に取り囲まれて恐怖の表情を浮かべたっちゅうシーンのことです。

 そんな状況でもドリブルをつづけることは愚の骨頂ですよ。いつも書いているように、もし高い確率で、相手を二人、三人と置き去りにしたり、危険なタメを演出できるならば「実効ある武器」ということになるわけだけれど、単なるキープじゃね。ポルトガルが標榜する「こだわりのサッカー」が成功ベクトルに乗るためには、ドリブラーの周りのサポートエネルギーを常に高い水準に維持する工夫が必要だと思っていた湯浅でした。

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 ところで昨日は、「HAMM」という町のホテルで、朝の4時までコラムを書きつづけていました。そして2時間くらい眠り、朝の6時から10時まで推敲作業に精を出したという次第。ドイツ対イタリアということで(また、成長をつづけ、大きく期待されていたドイツが負けたことで!?)、予定のコラム以外に、急遽二本のコラムを依頼されたのです。こちらも、チャレンジだから(いやドイツ関連のコラムだったら断れない!)と、全て受けてしまった。厳しかったけれど、まあ良い学習機会になった。

 でも、この日は、ハノーファーからミュンヘンまでの飛行機を予約してあったから、原稿をアップした後、必死にシャワーを浴び、荷造りをしてクルマに飛び乗り、アクセルを踏み込んだのです。混んでいたこともあって、ホント冷や汗ものでした。もちろん、場所によっては240キロくらいでブッ飛べたところもあったけれどね。そんな、こんなで、ハノーファー空港に到着したのは、まさにギリギリの40分前といった体たらくでした。

 今はまだメディアセンターで原稿を書いているけれど、これからミュンヘンの友人宅にお世話になり、明日ハノーファーへ飛行機で戻ります。そしてその足でベルリンへ。明日は所用が重なることになりそうだから「日記」はお休みにせざるを得ないかもしれない。もちろん、気が向けば、キーボードに向かうだろうけれど・・。ということで、今日はこのあたりで。
 



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