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2006_ワールドカップ日記・・クリスティアーノ・ロナウドというアンバランスな才能・・(東京新聞に2006年6月10日から7月10日まで隔日で連載したコラムです)・・(2006年7月13日、木曜日)

このコラムは、6月11日に行われたポルトガル対アンゴラ戦のなかで、もっとも目立ったゲームコンテンツを取り上げたものです。いくらチーム力に差があるからといって、個人勝負ばかりのゴリ押しじゃ相手守備が崩れるはずがない・・そして、そんなエゴプレーが、結局はチーム全体のサッカーベースを減退させていく・・といった内容です。

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 ポルトガルに、クリスティアーノ・ロナウドという若い才能がいる。素晴らしいスピードとボールコントロール、他を寄せつけないドリブル突破能力、強力なヘディングなど、どれをとっても超一流だ。

 ただ彼は、ワールドカップという世界の檜舞台を前に舞い上がってしまった。オレの才能を世界中の人々の心に焼き付けてやる・・。昨日のアンゴラ戦では、状況判断などお構いなしのドリブル勝負を仕掛けていったり、必要のないフェイントやヒールパスを「披露」したりという具合に、身勝手なプレーに終始した。

 そんな彼のエゴはアンゴラ守備もお見通し。ロナウドがボールを持ったら、すぐにプレスの輪を築いてボールを奪い返してしまうのである。ロナウドが原因でボールの動きが停滞するポルトガル。後半14分にベンチに下げられたのも当然の措置だった。

 彼は、シンプルなパスや忠実なランニングなど、もっと組織プレーを意識すべきだった。それがスムーズに流れ、スペースで(ある程度フリーで)ボールを持ててはじめて、天賦の才を光り輝かせることができるのだ。

 結局ロナウドは、意図したアピールとは正反対の、考え違いをした才能というネガティブな評価を忍受せざるを得なかった。悲しいことだ。そんな「才能の空回り」を見るにつけ、選手の能力レベルが高ければ高いほど、まずコーチは、組織プレーをたたき込むことに全力で取り組むべきだと思う。スピードアップした現代サッカーでは、組織プレーという基盤がなければ、決して個の才能が活きることはないのだ。ロナウドが次にどのようなプレーをするのか、興味が尽きない。(了)

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 例によって、様々な文章ブロックを創作し、取捨選択したのですが、そのコンテンツのエッセンは・・

 ・・シンプルなタイミングのパスを出してスペースへ走り、次の勝負を狙うというクレバーな勝負イメージなど皆無・・天才故の心理的な罠・・組織プレーにも徹することで、スペースで、良い体勢でパスを受けられたはず・・そこではじめて、彼の天賦の才が光り輝く・・ゴリ押しのドリブル勝負じゃ、潰されるのがオチ・・要らないところで、サーカスのようなフェイントを掛けてみたり、足のカカトを使ってクロスを上げ、チャンスを潰してみたり・・そして、後半14分には、コスティーニャと交代させられてしまう・・クリスティアーノ・ロナウドは、まさにボールの動きの停滞ばかりを演出していた・・

 ・・サッカーの基本は、言うまでもなくパスゲーム・・しっかり人とボールを動かすサッカーは、スペースをめぐる陣取りゲームにも似ている・・相手のマークからある程度フリーでボールを持つことができてこそ、ロナウドの能力が光り輝く・・ただ彼は、無理な状況であるにもかかわらず、相手を甘く見た安易なドリブル勝負を仕掛けつづけ、そして心理的な悪魔のサイクルに陥ってしまった・・そして彼が望んだ「世界へのアピール」が叶わなかった・・等々。

 後から考えてみたら、ちょっと「バランス感覚」というファクターが薄いと感じました。クリスティアーノ・ロナウドの才能は素晴らしいし、それを活用しない手はない・・それでも、あくまでも組織プレーとの兼ね合いで、バランスの取れた表現方法を・・といったニュアンスです。

 決して湯浅は、才能ある「上手い選手」を否定しているのではありません。あくまでも、上手い選手を、いかに「走るように(限界まで闘うように)させるのか」という現代サッカーの(特に日本の!?)コーチに与えられたメイン・ミッションをテーマにしているのです。
 



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