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2006_ワールドカップ日記・・ホアン・リケルメという諸刃の剣・・(東京新聞に2006年6月10日から7月10日まで隔日で連載したコラムから)・・(2006年7月16日、日曜日)

さて、アルゼンチンのホアン・リケルメ。このコラムは、アルゼンチンが大勝した6月16日のリーグ戦、対セルビア・モンテネグロをベースに書きました。そのリケルメは、まさに本物という勝負になった準々決勝のドイツ戦において、一点リードした状況でカンビアッソと交代させられてしまいます。たぶんペケルマン監督は守備固めをイメージしていたのでしょう。でもアルゼンチンは、その後ドイツに同点ゴールを決められ、PK戦で涙をのむことになる。

 リケルメにしたら悔やんでも、悔やみきれない交代だったに違いありません。チームメイトたちにしても、彼が「そこにいる」というシンクロした仕掛けイメージをもっていただろうから、そのリケルメが抜けたときから、急に仕掛けの危険度が減退したと感じました。ということで私は、リケルメが「そこにいること」の意味を、下記のように解釈していたのですが、皆さんはいかが?

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 アルゼンチンのホアン・リケルメ。天賦の才に恵まれたプレイヤーである。とはいってもそれは、ボールを持ったときのハナシ。全体的な運動量は少なく、ボールがないところでのプレーも目立たない。また、スペースでパスを受けるための全力ダッシュも希だし、守備もほとんどやらない。

 彼は、クラシックなゲームメイカーであり、全員守備、全員攻撃というスピードアップした現代的な組織サッカーでは活躍が難しいとされるタイプである。それでも、アルゼンチンのペケルマン監督は、リケルメを攻撃のコアとして使いつづける。

 そんなリケルメを見ていて、一つの仮説に思い当たった。ペケルマン監督は、彼を「攻撃のおとり」としてもイメージしているのではないか・・。

 リケルメがフリーでボールを持ったときの危険性は世界中に知れわたっている。だから相手は厳しくマークする。ただ彼はあまり動かないから、常に相手マークを背負うことになる。そこがミソだ。チームメイトは、動きの少ない上手い選手という、普通だったら邪魔な存在を、逆の発想でうまく活かしていると思うのである。リケルメは、チームメイトのイメージの中では、「動かない指標」なのだ。

 彼らは、足を止めたリケルメを「ポスト」にしてボールを動かし、そこに相手の意識が引きつけられることで出来るスペースを活用して素晴らしいコンビネーションを繰り出していくのである。もちろんリケルメも、その流れのなかではシンプルなパスを心がける。攻撃での重要な要素は、選手たちの仕掛けイメージが有機的に連鎖すること。いまのアルゼンチンには、確かに「それ」がある。(了)
 



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