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2006_ワールドカップ日記・・ドイツのブレイクスルーと、日本を叩きのめしたブラジルの美しさという価値・・(東京新聞に2006年6月10日から7月10日まで隔日で連載したコラムから)・・(2006年7月18日、火曜日)

今日は、6月20日のドイツ対エクアドル、22日の日本対ブラジルから題材をピックアップしたコラムを二本つづけて掲載します。ではまずドイツから・・。

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 「本当に生まれて初めての経験だよ。1974年のときは、クルマに国旗を立てるなんていうことは考えられなかったし、1990年の時でさえ、優勝した後に少しだけという感じだったからな。国が一つにまとまっていると感じるよな」。友人の弁護士、ペーターがそんなことを言っていた。ちなみに、1974年は、ドイツが地元ワールドカップで優勝し、1990年は、イタリア大会を制した年だ。

 予選Aグループの最終戦。ドイツは、勝ち点で並ぶ強敵のエクアドルに完勝した。そのキックオフ前、多くがドイツ人という8万大観衆で埋まったスタンドから、ドイツ国歌の大合唱が響きわたった。もちろん選手たちも唱う。鳥肌が立った。ドイツ全土から史上例を見ないほどのスピリチュアルエネルギーが放散され、ドイツ代表を包み込む。

 イレギュラーするボールを足で扱うという不確実な要素が満載されたサッカー。だからこそ、本物の心理ゲームといえる。今、ドイツ代表は覚醒し、勝負マッチを重ねるごとに急速に発展しはじめた。自分たちには上手いことはできない・・闘う意志こそが勝負を決める・・。そして、課題だった守備も、ゾーンからマンマークへ移行する「ブレイク」のタイミングを早めることで安定させ、ダイナミックなプレッシング守備とクロス攻撃という徹底サッカーでイメージが統一されていくのである。

 大会を通じて発展しつづけるドイツ代表。若手が主体だからこそ、本物の「ブレイクスルー」への期待感が高揚しつづける。それは、1970年代の、美しく勝負強かったドイツの復権に対する期待に他ならない。(了)

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 次は、日本対ブラジル戦からテーマをピックアップしたコラムですが、闘う姿勢(全体的な運動量や主体的にリスキーな仕事を探しつづける態度の指標となる攻守にわたるボールがないところでの全力ダッシュの量と質などのグラウンド上のプレーに現出!)あまりにも不甲斐ない日本に心底ガッカリしたことで、やむなくブラジルにスポットを当てたコラムにした次第。読み直して、再び深いため息が・・。フ〜〜ッ!!

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 ブラジルが日本を圧倒した。美しさの限りを尽くしたクリエイティブサッカー。人とボールが夢のように素早く、そして広く動きつづける。そんなシンプルなタイミングでパスを回しながらも、全てのボールタッチに何らかの小さなフェイントをミックスする。日本選手は、自らのボール奪取イメージを超越したコンビネーションに視線と意識を奪われ、足がフリーズしてしまう。そしてハッと気づいたときにはスペースに入り込まれ、その起点から繰り出される怒濤のドリブル勝負や素早いコンビネーションに振り回されてしまうのである。

 今回のブラジルは、彼らの歴史のなかでも最高のチームへと成長を遂げているのかもしれない。期待が心の底からわき上がってくる。世界トップレベルの才能たちが、ヨーロッパ流の組織プレーも存分に取り入れた最高のバランスサッカーを展開しているのだ。パレイラ監督の優れた「ウデ」を感じる。

 以前ブラジルは、個人プレーを追求し「過ぎた」ときもあった。ただ、世界的な情報化と国際化が進み、選手たちがヨーロッパでプレーするようになったことで、個の能力を組織的に活かすという発想も格段に進化していったのである。いまヨーロッパのトップコーチは、ブラジルに対して惜しみない敬意を表している。

 人々の予測の上をいく驚きに満ちた美しさと、規律(チーム戦術)をベースにした勝負強さが高い次元でバランスしたブラジルのクリエイティブサッカー。それが世界を引っ張り、サッカーを「本来的」な発展ベクトルに乗せる。良いことだ。やはり、美しさや楽しさこそが、進歩への最大のエネルギー源なのである。(了)
 



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