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2006_ワールドカップ日記・・そして、決勝・・美しさと勝負との相克・・(東京新聞に2006年6月10日から7月10日まで隔日で連載したコラムから)・・(2006年7月24日、月曜日)

2006ワールドカップ決勝は、典型的な一発勝負マッチというゲーム展開になった。互いに、リスクを冒して仕掛けることなく、最後まで堅牢に守り合うといった静的なゲーム内容に終始したのである。

 たしかにフランスの方が比較的攻め上がったけれど、そこには、復活への期待が高まっていた往年の勢いはなかった。彼らもまた、イタリアのカウンターの怖さを身にしみて分かっているということなのだろう。

 人数やポジショニングのバランスを崩して攻撃をサポートしていかなければならないのがサッカー本来の在り方である。それがなければ、実効ある攻撃を繰り出すことはできないし、サッカーの美しさや魅力も失せる。バランスを崩すというリスクにも常にチャレンジしていかなければならないのがサッカーなのである。だからこそ、守備に入ったら必死にバランスを回復しようとする。そこで問われてくるのが守備意識。それこそが優れたサッカーの絶対的なベースなのだ。

 しかしこの試合での両チームは、中盤ラインと最終ラインを崩して最前線へ仕掛けていくという積極姿勢が前面に押し出されることはなかった。あくまでも次の守備を念頭に置き、ラインのバランスを維持することを優先していたのである。

 世界一が掛かった一発勝負だから、勝ちたいというのではなく、負けたくないという後ろ向きのサッカーになってしまう心理は理解できる。ただし彼らに、サッカーの美しさを阻害する権利はないというのも確かな事実。この試合には、世界中で30億の人々が目を凝らしているのだから。そして古くて新しいテーマにたどり着く。

 美しさと勝負との相克。(了)

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 イレギュラーするボールを足で扱うということで、最終的には限りなく自由にならざるを得ないサッカー。だからこそ、結局「意志」によって全てが決まる。要は、リスクにチャレンジするかどうかは、選手たちの意志(意志パワー)によるということです。

 そのリスクチャレンジが限られていた決勝について批判的なコラムを書いたけれど、それには「まあ仕方ない・・」というニュアンスも含めたつもりです。要は、チームにとっての唯一のミッションは「勝つこと」だったということです。その次元を超越して、美しさまでも「要求する」ことなど誰にも出来ません。我々には、チームが、リスクを冒して「美しさ」も追求することを「期待」するしかないのです。

 数日前に、友人のイタリア人コーチと話す機会がありました。「オマエも、日本のメディアでイタリアのサッカーを批判しているんだろ? あんな守備的なプレーで勝ってもサッカーの進歩には何の貢献もないとかさ。それでも、あれもオレたちのサッカー文化の一部なんだよ。もちろん、今回の決勝がどのように歴史に残るのかについては、ちょっと気にはなるけれどね・・」。

 「いやいや、そんなことはないよ。ドイツとの準決勝はほんとうに見事なサッカー内容だったし、あれほどチームの意志が統一された忍耐サッカーだったら、それはそれで見事というしかないし、サッカーの一つの特長を見事に表現しているよ。まあ、ドイツ戦がハイライトだったけれど、とにかくイタリアは、イタリア的なロジックの首尾一貫サッカーで世界の頂点に立ったんだから立派としか言う他ない。本当に、本心からネ・・」。

 「人間」が織りなす美しさと勝負との相克。または、理想と現実との相克。そのせめぎ合いでは、不確実な要素が満載のサッカーだからこそ、美しさや理想型を目指そうとする「意志」が絶対的な基盤になるというわけです。それは、サッカーに取り組む基本的な「姿勢」とも言い表せるかもしれない。まあ、自由であるからこそのジレンマってなところですかね。やはりサッカーは深い。

 さて、東京新聞で2006年6月10日から7月10日まで隔日で連載したコラムは、これで終了です。明日からは、NHKデジタル文字放送と同HPで連載したコラムを選んで紹介します。
 



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