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- 2007_アジアカップ・・カタール戦についての補足とハノイの交通事情(写真付き)・・(2007年7月10日、火曜日)
- 昨日のカタール戦ですが、その内容について、もう少し突っ込んでみようと思いキーボードに向かいました。テーマは「スペース感覚」。その視点にこそ、日本とカタールのレベル差が如実に現れていたと思うのですよ。
攻撃における具体的な「目標イメージ」は、いつも書いているように、ある程度フリーでボールを持つこと(=相手守備ブロックのなかにあるスペースを攻略するプレー)。もちろん、相手の最終守備ラインのウラにある「決定的スペース」を攻略できれば言うことなしです。
私は「仕掛けの起点」と表現するけれど、それを演出できれば、即シュートにつながるのは自明の理。もちろん、昨日のゲームで高原が挙げた先制ゴールのように、ダイレクトシュートを打つというシーンでも、基本的な「現象」は同じ。そこでの高原は、ファーポストのスペースでフリーでボールを持った(=ダイレクトでボールに触った=ダイレクトシュートを打った)ということになるわけです。
そのシーン以外にも、相手へ突っ掛けていくドリブルから・・最前線への(高原への)タテパス・・(ワンのパスを出した選手の)パス&ムーブ・・(その選手への)リターンパス・・(ただし止めずに)スルー・・(そのボールを)ボールがないところから上がってきた三人目がパスレシーブ・・そしてダイレクトで(これまた後方から上がってきた)四人目へのパスを決める・・などなど、めまぐるしい人とボールの動きから、何度となくカタールディフェンダーの背後スペースを突いていく日本代表なのですよ。そんな人とボールの動きによって、カタール守備がまったく反応できずにウラを取られたシーンを何度目撃したことか。たしかに日本代表が「5-6点」ブチ込んでもおかしくないというサッカー内容ではありました。
その「仕掛けの起点」を演出するプロセスだけれど、それには大きく分けて二つある。一つは、人とボールを動かして(組織パスで)スペースを攻略するプレー。そしてもう一つが、ドリブルで相手を抜き去り、その背後のスペースへ入り込むプレー。
言うまでもなく、大きな傾向として、前者が日本で、後者がカタールだと表現できます。もちろんベストは、その二つのプロセスを高い次元でバランスさせること。日本は、かなりのレベルでバランスさせられていたけれど、まあ、オシムさんにとっては、個の勝負コンテンツにおける課題も含め、まだまだ不満だらけということだったようです。それが、「美しさを結果に実効リンクされられない・・」という昨日の発言につながった!? 私は、決して満足しない(妥協しない)オシムさんの面目躍如というふうに理解していました。また、情緒的な言動とは裏腹に、彼が発する言葉とその表情から、ホントは機嫌は悪くはないな・・と判断していた次第です。
ところで、その「組織と個のバランス」が高揚しつづけていった後半の日本代表。もちろんその絶対的なベースは「組織プレー」の高まりだけれど、私はそこに、勝負マッチであるからこその「本物の発展傾向」も見ていました。本物の勝負であるからこその「深い体感」があったと感じていたのです。その体感が、脳内のイメージタンクに、強烈な刺激とともにストックされ、必要に応じて呼び起こされることで次の闘うエネルギー源になる。だからこそ、これからの勝負マッチを通して、オシム日本代表が(世界をターゲットにした)ブレイクスルーを果たすことに対する期待が高まっているというわけです。
それも、カタールと引き分けてしまったことで、おのずと緊張感が高まる勝負マッチがつづくというポジティブな条件にも「恵まれる」ことになった。まさに、脅威と機会は表裏一体。良いじゃありませんか。
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ところで、ハノイの交通事情。空港からタクシーに乗ってすぐに、ハノイのトラフィックカオス(混沌とした交通状況)の洗礼を受けることになります。もちろん現地の人々にとっては、まったくの日常であり、カオス(混沌)と感じるのは外国人だけだろうけれどね。
とにかく、車線や信号機なんてあってなきがごとし。クルマ、オートバイ、自転車、リクシャー、そして歩行者が入り乱れるのです。要は、それぞれに違う目指す方向が、複雑に交錯しつづけるということです。
もちろん、クラクションのオンパレード。オレの方がスピードが速いんだから、オマエが車線をゆずれ!・・とか、オレの方が先にノーズを突っ込んだんだから、お前はオレの後ろに入れ!?・・ってな具合なのかな。
そんなカオスのなかでも、ものすごい台数のオートバイの存在感が際立っています。とてつもなく大胆なライディングを披露しつづけるオートバイの波。ピッビ〜〜・・ってな警笛を鳴らしながら、私が乗るタクシーの横ギリギリからスッとフロントスペースへ入り込んだり、直前を横切ったり。また右折のオートバイも、「先に交差点に入った方が勝ちだ」ってな具合に、交錯するタクシーやオートバイ、自転車や歩行者に対応を迫るののですよ。
また彼らは、街中ではまったく信号を守らない。もちろん私が乗るタクシーは赤信号では止まります。でもオートバイや自転車、リクシャーや歩行者は、そのまま交差点に突っ込んでいく。もちろん周りの動向をしっかりと観察し、判断しながらなんだろうけれどね・・。
私が乗るタクシーの鼻先で道路を横切ろうとする歩行者や自転車も、手を振って周りを「制しながら」泰然自若と渡りつづける。もちろんオートバイやクルマは、その迫力に、スゴスゴと道を譲るのですよ。スゴイね、ホント。
彼らには、何らかの「あうんの呼吸」があるんだろうね。誰もが、周りの当事者たちの「意図」をしっかりとイメージしている!? たしかに「それ」はありそうだ。要は、クルマ、オートバイ、自転車、歩行者などなどが入り乱れているけれど、そこでは正確な「アンティシペーション(予測機能)」が働いているということです。まあ、先に「自分の意志を表明した者」は、そのまま周りを気にせずに「意志を通して」しまう。
クルマは、自分が目指す方向へドライブするけれど、そのラインに入ってきそうなオートバイや自転車をしっかりと予測しているし、オートバイも、ある程度までは攻めるけれど、最後は、状況に適応するように柔軟に譲り合っている。そこには、互いの信頼関係があると感じます。
それは、カオス(混沌)のなかのプラグマティックなオーダー(秩序)なんていうふうに表現できるだろうか。でも、そんな構図にも、絶対的なバックボーンがある。それは、「途中で行動を急に変化させない」ということ。一度「意思を表明」したら、それを貫くのですよ。それが乱れたら、確実に事故が発生する。
一度だけ、本当に危ないシーンに出くわしました。二人の子供が横断歩道を歩いてわたっているという状況。そこで、その子供たちが、ピクッとしながら急にストップしたのですよ。周りのバスやオートバイなどは、その子たちの動く方向とスピードに合わせて走る方向やスピードを調整していたからたまらない。そのシーンでオートバイやクルマを運転していた当事者は、たぶん数十人はいたと思うけれど、一斉に急ブレーキを掛けたのです。オートバイが一台(女性のライダー)が転倒し、子供たちはフリーズしている。本当に身の凍る思いをしたものです。
それでも、二日目の今日は、もう慣れた。何せ、これまでに何度もインドのトラフィックカオスで鍛えられている筆者ですからね。歩行者として2時間ほどハノイの中心街を散歩してきたのだけれど、すでに「あうんの呼吸」を会得したと悦に入っていました。交差点を横切るにしても、例の「手振り」で何台ものクルマやオートバイに、柔軟に進行方向やスピードを調整「させ」ましたよ。
とはいっても、もちろん前後左右の状況変化に常に気を遣っていなければ危険そのものであることは確かな事実。素早く首を振って視線を四方へ送りつづけていたから、ガチガチに肩が凝ってしまった。そして思っていました。そうか・・、インドやハノイのトラフィックカオスは、サッカー選手にとっては、周りを見る(正確な状況把握の)効果的なトレーニングになるよな・・なんてネ。
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ところで、しつこくて申し訳ありませんが、本日発売されたはずの拙著(日本人はなぜシュートを打たないのか?)の告知をつづけさせてください。本当に久しぶりの(ちょっと自信の)書き下ろし。それについては「こちら」を参照してください。
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