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2007_アジアチャンピオンズリーグ(ACL)・・フロンターレにとって良い学習機会になったに違いない・・フロンターレvsバンコク大学(1-1)・・(2007年3月21日、水曜日)

まあ、例によって神様が描いたスクリプトそのままってな試合展開でしたね。何度も決定的チャンスを作り出しながら、結局は、相手のオウンゴールだけしか奪えずに引き分けてしまったフロンターレ。彼らにとっては、良い学習機会になったはずです。

 このゲームでの最初の視点は、現代サッカーでは、守備ブロックを固められたら、いくら実力差があっても、そうは簡単に崩し切れないということですかね。

 以前だったら、個のチカラを単純総計したチーム総合力の差が、そのまま結果となって現れるのがほとんどでした。要は、局面での個人勝負において余裕でボールをキープした実力チームが、そのまま相手守備ブロックの視線と意識を引きつけ、(パスで空いたスペースを活用することで)簡単にボールのないところで勝負を決めてしまうというのが普通のゲーム展開だったのですよ。そして、守備ブロックを「開いた」相手に、実力チームが加点して大勝を収める・・。

 ただ現代では、世界的な情報化が進んだことで、世界のどこにいてもトップクラスのサッカーを観ることができるようになり、どんどんとイメージトレーニングが進んでいった。もちろん、戦術的なノウハウに関する情報も世界を駆けめぐる(コーチも基本的な戦術的知識をしっかりと把握している)。ということで、個のチカラの僅差が、結果を大きく左右するという時代は終わりを告げたのです。

 世界中の多くのサッカー人が、「勝負はボールのないところで決まる」というもっとも重要なサッカーの概念を着実に自分のモノにしていますからね。

 バンコク大学は、たしかに局面ではそこそこの個人技や競り合いの強さをみせてくれたけれど、総合力では、やはりフロンターレの敵ではありません。それでも、一瞬のカウンターから先制ゴールを奪われたフロンターレは最後の最後まで苦戦を強いられた。そんな現象の背景に、世界的な情報化をベースにした「僅差の縮小」があったというわけです。

 バンコク大学が敷いた「強化守備」だけれど、忠実なチェイス&チェックは言うに及ばず、次のボール奪取勝負ポイントへの「寄せ」やインターセプト狙い、はたまた、ボールの動きが停滞したところで仕掛ける協力プレス狙いなど、その戦術的な守備イメージ(ボール奪取への意図)は高いレベルにあります。

 また、ボールがないところでの走り抜ける、フロンターレの二人目三人目フリーランニングに対しても、忠実に最後までマークしつづけるという、守備でのもっとも重要なツボもしっかりと押さえていた。

 そんなだからね、フロンターレが、いつものコンビネーションを決めようとしても、うまく機能しないのも道理なのですよ。何せ、前述したハイレベルな守備イメージと高い守備意識に支えられた(多くの人数をかける)強化守備ブロックが相手だからね。

 たしかにフロンターレは、前半から何度も何度も決定的チャンスを作り出しました。でもそのほとんどは、コーナーキックなどのセットプレーや、高い中距離パスを用いた「大きな展開」からのもの。ヘディングの制空権は、フロンターレがほぼ手中にしていたということです。それに対し、緻密なコンビネーションから相手守備ブロックのウラスペースを突くといったチャンスメイクシーンは、ほとんどありませんでした(ほとんど途中で潰されていた)。

 だから後半は、サイドからのアーリークロス「も」イメージするということで臨んだということでした(関塚監督)。また、ハーフタイムでの関塚監督によるイメージ作りがうまく機能したようで、停滞サッカーに陥っていた前半から比べれば、後半の動きは、かなり改善されていた。とはいっても、やはり数日前の横浜FC戦でブチかました素晴らしいサッカー内容とは雲泥の差でした。

 結局彼らは、この試合に臨むにあたって、バンコク大学を甘く見ていたと言われても仕方ない。立ち上がりの、攻守にわたる、ダイナミズムに欠けた消極的なプレー(様子見)姿勢が、まさにそのことを如実に物語っていました。そして、そのネガティブなサッカーがつづいてしまうのです。優れたサッカーは有機的なプレー(イメージ)連鎖の集合体だからね。一度でも、イメージ連鎖のクサリが途切れたら、それを再びつなぎ合わせるには大変な努力が要るというわけです。

 私は、フロンターレにとって、このホームでの引き分けは、大変貴重な学習機会になったと思っています。そのなかで最も大事なことが、現代サッカーでは、簡単に(楽をして)勝てる相手などはもうどこにもいないという事実に対する再認識です。

 前述したように、戦術的なツボに対する理解が進んでいる現状を考えれば、以前のように、局面での「個の欺しテクニック」で相手ディフェンスを翻弄してウラスペースを突き崩すといったスマートで効率的な攻めは、ものすごく難しくなっているということです。だからこそ、(個人的なチカラの差も含めた)チーム総合力の差をグラウンド上で最大限に表現するために、攻守にわたってしっかりと走ることで、組織プレーを最高に機能させなければならないのです。

 楽して金を稼ごうという怠惰なプレー姿勢では、もう二進も三進も(ニッチもサッチも)行かない時代になっているのです。しっかりと走ることによってのみ、個の才能も、より効果的に発揮していけるということです。上手さを表現するために(自己実現を志向するからこそ!)攻守にわたって、しっかりと走らなければならないということです。

 最後に、誤解を避けるためにもう一言。私は、フロンターレ選手の(基本的な)プレー姿勢が怠惰だとは、まったく思っていません。彼らは、関塚監督に率いられ、リーグでも屈指のチームプレイヤーたちです。それでも、サッカーの心理的なワナは、常に大きな口を広げて待ち構えている。だから、そんな彼らでも、ちょっとでも気を緩めたら、そのワナにはまり込んでしまうということが言いたかったのです。

 




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