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2007_オリンピック代表・・攻守にわたり、グラウンドの至る処で数的に優位なカタチを作りつづけるのがイメージターゲット・・あっと、予選突破おめでとう!!・・(日本vsサウジアラビア、0-0)・・(2007年11月21日、水曜日)

「最後の時間帯・・選手は確かな成長をみせたと思う・・自分たちで考え、実行できていた・・そこには逞しさがあった・・」

 記者会見での反町監督のコメントです。それだけではなく、記者の質問に答え、「ドーハ(での逆転負け)があったからこそ、最後の二連戦での成功があった・・」とも言った。

 まさに、我が意を得たり。肉を切らせて骨を断つ闘いだったからこその、ゲームを通した成長。そしてホンモノのブレイクスルー。あとは、世界との「最後の僅差」を縮めていくための実効ある努力を積み重ねていくだけ。攻守にわたる様々なプレーにおける「小さなコト」を、一つひとつ、丹念に改善していく地道な努力を・・。

 このゲームでは、最後の25分間こそが最高のドラマでした。一点をめぐるギリギリの攻防。

 何せ日本は、岡崎や李、はたまた水野や柏木が決定的なチャンスを得たにもかかわらず、それをモノにできなかったんだからね。ここでも「冷血な決定力」という永遠のテーマが見え隠れしていた。この惜しいシーンは、本当に貴重な「イメージトレーニング素材」です。クレバーに編集し、それを何度も、何度も繰り返し見ることで、イメージタンクを充填しなければいけません。そしてそれが、次の一瞬のチャンスに蘇り、自然と「猛禽類の冷血アクション」を引き出す。さて・・。

 ところで決定機を逃しつづけたことだけれど、普通だったらそれは、気まぐれなサッカーの神様による、偶然と必然が交錯するギリギリのドラマがはじまる何らかの予兆になるものです。(1993年のドーハの悲劇や、先日、五輪代表にブチかまされたドーハでの逆転劇など)それを何度も体感しているからこそ、観戦している方の「震え」は、測定器の張りが振り切れるほどに振幅を増していった。

 でも我らが若武者連中は、神様のスクリプト(ストーリー)を、彼らが主体になって、ポジティブな方向へと引っ張っていきました。最後の25分間に日本の若武者が魅せたディフェンスは、まさに「逞しくソリッドな」モノだったのです。その意味では、ゲームの流れを、自分たちが主体になって、限りなく「必然的」な方向へと引っ張っていったとも表現できるかもしれないね。それは、まさに彼らの成長の証でした。反町監督が言うように、彼らは、ドーハでの大逆転劇からのネガティブな体感を、完璧に自分たちのモノにし、成長の糧にしてしまったということです。

 その「誰一人として気を抜くことのない逞しくソリッドな守備」という表現だけれど、現象面では、例えばこんなこと。

 まず何といっても、忠実でスピーディー&ダイナミックなチェイス&チェック。それが機能していたからこそ、サウジのボールホルダーは、ほとんど自由にプレーできなかった。多分それも、前半での(ちょっと中途半端な)ディフェンス内容から、選手が主体的に学び、反省して改善したのかもしれない。記者会見において、そのこと(選手たちによる主体的な改善)を暗に匂わしていた反町監督も、プロコーチとして発展していると感じました。選手たちの主体性を解放することこそ(考えてアクションする姿勢を深化させることこそ)、コーチとしての、そして心理マネージャーとしてのウデの証だからね。

 守備の現象面では、ボールがないところでのアクション内容も本当に良かった。誰一人としてボールウォッチャーにならず、主体的に、そして確実に「仕事を探しつづけて」いた。動く相手をしっかりとマークする・・相手のボールの動きが止まれば、すかさず協力プレスをしけていく・・もちろんインターセプトも狙うし、次のパスレシーバーもしっかりとマークする・・などなど。

 最後の25分間における日本代表のディフェンスは、まさに完璧。たしかにサウジは、ゴリ押しのパワープレーから、放り込みクロスや中距離シュート場面も作り出したけれど、それにしても、日本の若武者たちの、勇気と責任感をベースにしたギリギリのチャレンジに、ことごとく潰されていた。特に、サウジが作り出した最後の中距離シュートチャンスに3人の若武者たちが飛び込んでいったシーンは圧巻だった。それを見て、はじめて「ヨシッ、これでもう大丈夫だ!」と、コンピュータをバックパックにしまい込んだ次第でした。

 たしかに前半のサウジは、明確なイメージをもってゲームに入っていた。「とにかく先制ゴール・・それさえ叶えば、我々のディフェンスは強いから日本を反撃を押さえられる・・日本も焦るだろうし・・」。そしてゲームの立ち上がりから、人数をかけて攻め上がり、偶発的とはいえ、一つ、二つと危険なシーンを演出してしまうのです。そのときは、確かにちょっとビビッた。

 でも冷静に見れば、たしかにパスはある(ボールは動く)けれど、それも「足許パス」ばかりなのですよ。要は、サウジの攻撃では、ボール「しか」動かないというわけです。ボールがないところでの三人目、四人目の(人の)動きが出てこない。だから、うまくスペースを使えないし、日本守備ブロックのウラを突いていけないのです。

 とはいっても、人数をかけて押し上げてくる「個のチカラに長けた」サウジの攻めは迫力がある。最初、日本チームは、ちょっとビビり気味だったと思いました。相手ボールホルダーに対する「間合い」も空け過ぎる傾向が強かったし、アクションするよりも様子見になる傾向の方が強かったしね。

 それでも15分もしたら、前述したように、日本チームの守備がダイナミックに(迫力と活力にあふれ、力強く)安定していくのです。それに伴って、攻撃でもしっかりと組織的に押し上げられるようになっていった。私は、そんな主体的な闘う姿勢を確認して、やっと安堵したといった体たらくでした。何せ、主体的な闘う姿勢では、どうしてもまだ「?」が付くオリンピック代表だったからね。だからこそ、彼らのゲームのなかでの成長を明確に確認できたというわけです。

 ということで、最後は、個のチカラというテーマで締めることにします。

 反町監督に、こんな質問をしてみました。「たしかに組織的には日本に一日の長がある・・ただ局面での勝負では、凌駕されるシーンも多かった・・アジアカップでもそうだったが、個のチカラでは、やはり彼らに一日以上の長があると感じる・・もし反町さんが、そのことにアグリーの場合、その課題を克服していくためには、どのようなことが必要だと思うか・・」

 それに対して反町監督は、こんなふうに真摯に答えてくれました。

 「そのテーマについては、アジアカップ中にオシム監督とも何度もディスカッションを重ねた・・たしかに個のチカラでは劣る・・総体的な身体能力の差・・特に中東の選手には、一瞬で日本選手を置き去りにしてしまうバネがある(これは瞬発力の意味だろうネ・・要は、ジャンプ力やダッシュ力に『≒』の要素ということでしょう)・・また全般的な走力でも差があると感じる・・それらは日本にはない部分・・要は、生まれつきのモノで、後天的に(簡単に)作り出せるモノではない・・だから我々は、戦術的な考え方の方向転換が必要だ・・その一つがサイドアタック・・とはいっても、中央でのヘディングの競り合いではね返されてしまってはどうしようもない・・だから我々は、中央ゾーンでも数的優位を作るように努力するしかない・・攻撃でも守備でも、出来る限り多くのゾーンで数的に優位な状況を作りつづけるのだ・・それをベースに日本独自のものを作っていくというのがイメージターゲットだ・・」

 フムフム・・。

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 しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(ウーマン)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま四刷り(2万数千部)ですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞、東京新聞の(また様々な雑誌の)書評で取り上げられました。NHKラジオでも、「著者に聞く」という番組に出演させてもらいました。また、スポナビの宇都宮徹壱さんが、この本についてインタビューしてくれました(その記事は「こちら」)。またサボティスタ情報ですが、最近、「こんな」元気の出る書評がインターネットメディアに載りました。

 




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