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- 2008_ドイツ報告、その3・・2003年の2月に雑誌ナンバーで発表した、クリストフ・ダウムとの対談記事です・・テーマは「ドイツサッカー」・・(2008年7月28日、月曜日)
- さて皆さん、お約束の「雑誌ナンバーの記事」を掲載します。
この対談は、クリストフ・ダウムが、オーストリア・ウィーンを率いていた当時、彼らがスペインで合宿を張っていたホテルで行いました。その年は、ものすごく厳しい冬だった。だから、クリストフのチームは、温暖なスペイン地中海沿岸のマラガで合宿していたというわけです。
とにかく「前段」などまったく必要ない、長〜い記事です。では・・
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「オレは、1972年のヨーロッパ選手権で優勝したドイツ代表チームが、歴代で最高のチームだと思っているんだよ」。
「その通り!」。思わず、相づちが口をついた。ところで、それは何故だい?とつづけた質問に、クリストフ・ダウムが、「ボールを支配できていたからさ」と、短く、確信を込めた口調で言った。
ボールの支配。そのキーワードは、とりもなおさず、高い技術レベルを背景に、自らが描くアイデアのほとんどをグラウンド上に現出できたチームだったことを意味する。「そう。選手たちの技術レベルが上がれば、より高度な戦術を実現できるからな。美しく、そして強いサッカーという両面を兼ね備えていた彼らは、戦後ドイツサッカーの金字塔をうち立てたと言える」。クリストフ・ダウムが力強くつづけた。
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クリストフ・ダウム。彼は、戦後のドイツサッカー史上で、これ以上ないというスキャンダルにまみれたプロサッカーコーチだ。2年半前、日韓W杯へ向けたドイツ代表監督への就任が決まっていたにもかかわらず、コカイン吸引が発覚したことでドイツサッカー界から追い遠ざけられる存在になってしまう。そのニュースは、日本も含め、世界中を駆けめぐった。
昨シーズン、クリストフ・ダウムは、何度もドイツの裁判所へ出頭しなければならないというストレスを抱えながらも、1995年に優勝に導いたことがあるトルコのベジクタシュ・イスタンブールで闘いぬいた(リーグ3位)。結局その後ベジクタシュとは袂を分かつことになるが、昨年5月にコカイン購入に対する起訴が取り下げられ、晴れて自由の身になった彼には、ドイツも含め、監督就任のオファーが絶えることはなかった。その中から彼が選んだのは、オーストリア・ヴィーン。壮大な強化プランに心を動かされたという。
クリストフ・ダウムは、プロ選手としての経験がない。1.FCケルンのアマチュアチーム(当時3部リーグ)が選手キャリアの最後だった。私は、その当時に彼と知り合った。その後、同クラブのユース、プロチームコーチ、そして1986年に同チームの監督に就任することになる。地道に階段を上り詰めた32歳の若きプロコーチ。私は、その詳細なプロセスを知っている。当時は、プロ経験がない若造に何ができるという論調が支配的だった。それが、クリストフとともにチームは上昇機運に乗り、辞任した1990年までに、3位、2位、2位という周囲も驚く成果を挙げたのである。その後シュツットガルトへ移り、抜群の仕事内容で1992年には念願のリーグ優勝を遂げる。クリストフが38歳のときだ。その後は、前述したトルコでの成功を手みやげに、1996年、レーバークーゼン監督に就任する。レーバークーゼン黄金期のはじまりである。
グラウンド上だけではなく、組織マネージメントでも優れた手腕を発揮したクリストフ・ダウムは、押しも押されもせぬオピニオンリーダーに上り詰めた。ドイツ代表監督のイスが約束されたのも自然の成り行きだった。ただ、実際に代表監督に就任する直前、例のスキャンダルが発覚した。ドイツ全土に「ダウム・ショック」が吹き荒れたものだ。
代表監督に就任することになった背景には、彼が育てた代表選手たちの深い信頼もあった。ケルン時代では、GKイルクナー、コーラー、ヘスラー、リトバルスキー、パイン。シュツットガルト時代は、浦和レッズでもプレーしたギド・ブッフバルト、現ドルトムント監督のマティアス・ザマー。そしてレーバークーゼン時代は、今回のW杯で主力として活躍したミヒャエル・バラック、ラメロー、シュナイダー、ノイヴィルだけではなく、元代表のキルステンやヴェルンス、ケガでW杯を棒に振った最終ラインの重鎮、ノヴォトニーもいる。また、現ブラジル代表の中盤リーダー、エメルソン(現ASローマ)やクロアチア代表のコバチ兄弟なども、彼によって発展した選手たちだ。そんな強者たちが、異口同音に、「もっとも評価する監督はクリストフ・ダウムだ」と言うのである。
クリストフ・ダウムは、自身のことを「コミュニケーションに長けた権威主義タイプ」だと表現する。選手たちと議論はしないが、その考えや期待を巧みに取り入れていく。もちろん選手たちは、そのことを明確に感じる。「あっ、オレのハナシを聞いてくれていた・・」。選手たちにとって、それ以上のモティベーションはない。
スキャンダルにまみれたクリストフ・ダウム。今でもその名前はタブーに近い。それでも、ドイツのサッカー関係者と話すたびに、本音の部分では、まだ彼に対する畏敬の念は薄れていないと感じる。
頂点から地獄へ堕ちたクリストフ。もし彼が、再び脚光を浴びるステージまで這い上がることができたら、それこそ歴史に残る。
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そんな背景を持つクリストフ・ダウムに、ドイツサッカーの光と陰というテーマをぶつけた。勝負には強いが、美しさに欠けるつまらないサッカー。その背景と、将来の可能性を追求する。
場所は、彼が率いるオーストリア・ヴィーンが合宿を張るスペイン南部のマラガ。地中海の柔らかな空気が包みこむリゾート地だ。厳寒のドイツとは、まさに対局の自然環境。その落差がサッカーに与える影響は・・などと思いをめぐらせたものだ。
さて対談がはじまった。まずは手始めに、こんな挑発的な聞き方から入ることにした。たしかにドイツは、今回のW杯で準優勝を遂げたけれど、決勝戦で観客のほとんどはブラジルの応援だった・・それは、ドイツのサッカーを好きな人が少ないことの象徴だったと思うんだけれど、どうだい・・。
「そんな質問はフェアじゃないね。ブラジルのファンが世界で一番多いことは周知の事実じゃないか。もし決勝が、ドイツ対ポーランドだったら支持はドイツに傾くだろ。まあたしかにドイツ代表チームに、クリエイティブな選手が少なかったことは認めざるを得ないけれどな。もちろん、ミヒャエル・バラックを除いてね。いまの彼は、ドイツのクリエイティビティーの象徴だよ」。
そこで聞きたい。どうしてドイツにクリエイティブな選手が育ってこないのか。
「いや、いるよ。ショルやダイスラーとかね。今回はケガで出場できなかったけれどな」。
それでも、昔と比べたらフィジカル的な強さの方が目立つのは事実だろ・・と切り返したところで、冒頭の「1972年ドイツ代表」のハナシが出てきたというわけだ。
「ベッケンバウアー、ネッツァー、ブライトナー、ハインケス等々、クリエイティブな選手たちが揃った最高のチームだった。いまでもドイツ人は望郷の念をもっているよな。それでも、その後だって、創造性にあふれた選手たちを何人も輩出したじゃないか。シュスター、リトバルスキー、クリンズマン、ヘスラー、フェラー、メラー・・。十分な才能たちだと思うよ」。
とはいっても、90年以降は、創造的なプレーという観点でどんどんと下降線をたどったのは確かだよな・・。ここは食い下がるしかない。
「まあ・・そうだな。1990年のイタリアW杯優勝が、ある意味での分岐点だったのかもしれない。1989年に壁が崩れたことで、旧東ドイツから優秀な選手が大挙してやってくるから当分は大丈夫だという楽観論が充満した。事実、ザマーやイェレミース、ヤンカーといった優れた選手がドイツ代表に名を連ねるようになったからな。また次の1992年ヨーロッパ選手権では決勝まで進んだし、1994年のアメリカW杯ではブルガリアにうっちゃられたとはいえ、1996年ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。でも、そんなポジティブな流れに安心したドイツサッカー界は、変化を正確に把握できていなかったんだ。特に社会的な変化が大きかったな」。
社会の変化。たしかにそれは、サッカー界に暗い陰を落としていた。ユース世代の選手たちがストリートサッカーに興じるシーンが激減したのだ。
「80年代までは、子供たちの楽しみは、サッカーに代表される本格的なスポーツが主流だったんだよ。それがいまでは、コンピューターゲームとか、とにかく選択肢が爆発的に増えたことで、ストリートサッカーが消えてしまった。それは劇的な変化だった」。
ストリートサッカー。そこには深いコノテーション(言外に含蓄される意味)が含まれている。子供たちは、自らが楽しむために特別なルールを決めるなど、自分たちでゲームを組織し、考えながらプレーしなければならない。クラブで教えられたことを「自分なり」に消化する作業。プロのプレーを真似たり、独特のフェイントを「自ら」工夫したり、はたまた狡猾さを身体で覚えたり。また自ら進んで守備にも入る。クリエイティビティーを育むために、それほど理想的なステージはない。
「そうなんだよ。そのストリートサッカーが80年代の半ば頃から減少の一途をたどったんだ。これは本当に深刻な問題だ」。
でも、その傾向はもう誰にも変えることはできないよな・・。「そうさ。だからこそドイツは、クリエイティブな選手を育成するために、包括的なプランを練らなければならないんだ」。クリストフが、ハスキーだが、腹の底から響いてくるダイナミックな声でつづける。
「オレの代表監督就任が決まってから、そのプランに取りかかった。代表監督は、ドイツサッカー全体に対しても責任を負うというのがオレの考え方だったし、サッカー協会も協力を約束したんだ。そして取り組んだのが、フランスのクレール・フォテーヌをドイツにも作ろうという計画だった」。
フランスのビシーに本拠を置くサッカーの殿堂、クレール・フォテーヌ。フランスサッカーの中枢である。コーチ養成コースだけではなく、フランス全土から集められた優秀なユース選手たちが寄宿し、サッカーだけではなく、勉学もともにする。そこで選ばれた者だけがプロへの階段を上っていくのである。ジダン、アンリも、そこの卒業生だ。
「それをケルンの郊外に建設することが本決まりになったんだよ。選手の養成だけではなく、コンピューターを駆使して、ドイツ全土の情報を蓄積し、選手たちの日々の変化を克明に記録する。もちろんコーチ同士の情報交換の中枢としても機能する」。
そこで一度言葉を切ったクリストフは、より包括的なプランについても語りはじめた。「もちろん、ソフト的な振興プログラムも具体的に描いたよ。特に、学校スポーツの見直しが大事だと思った。眠った才能の宝庫だからな。そこへ、クラブと連携してコーチを派遣したり、各州の文部省に対し、より多くサッカー授業を取り入れるように働きかけたり、サッカー協会との連携で、元ドイツ代表の有名選手たちをドイツ全土の学校へ派遣したりするんだ。そうすれば、生徒たちも、よりサッカーに対して目を向けるようになるに違いない」。ハスキーなダイナミックボイスが、どんどんとテンションを上げていく。
「とにかく、このシステムを立ち上げれば、より広い範囲から優秀なユース選手たちを発掘できるだろうし、計画されていたケルンの中央育成センターだけではなく、クラブが運営する育成センターにも集められるだろう。それが、オレが考えた総合的な振興プログラムだったんだ」。
そうか・・。ところで、クリストフ・ダウムというキーパーソンを失った計画はどうなったんだい? 私は、どのような壮大な計画であれ、結局は「限られた人」によってのみ動くという組織メカニズムを理解しているつもりだ。だから、その中心的な存在を失ったケルンの中央育成センター計画がどうなっているのかに興味があった。
「計画はとん挫してしまった。残念だな・・」。クリストフの声が、ちょっと沈みがちになる。
「それでも、クラブが運営する育成センターは既に機能しているし、基本的な振興プラン自体は動いているはずだ。優秀な人材はいるから、何とかなるとは思うけれど・・」。
それについては、現ドイツ代表コーチで、プロも含む全コーチ養成コースの総責任者でもあるエーリッヒ・ルーテメラーが、次のように補足してくれた。彼とは、クリストフと対談した数日後に、私の母校でもある、ケルン国立体育大学で会った。
「ケルンのセンター計画は進んでいないけれど、その他のユース育成プログラムは進展しているよ。クラブが立ち上げた育成センターだけではなく、全国300箇所以上で行われている選手セレクションシステム(日本で言うトレーニングセンターシステム)も機能している。でも一番大事なのは、ゴールデンエイジと呼ばれる6-8歳から14歳までの子供たちに対する正しい指導なんだ。その年齢で、テクニック的な感覚のほとんどが養われるからな。まあ、昔はストリートサッカーがあったわけだけれど・・。とにかく、その年齢の子供を専門に教えるコーチの養成も手がけているんだよ。やっとその第一期生が卒業したところだ。たしかにオレたちは90年代は眠っていたけれど、これから、どんどんと優秀な選手が出てくるはずだよ。そう、1970年代のようにな」。
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ところで、ユース育成は進展しているとして、「その後」はどうなるのだろうか。優れた若手が出てきても、経験できる場がなければ元も子もない。そう、ドイツのトッププロリーグ、ブンデスリーガの現状である。今では外国人がマジョリティー。短期的な成果が求められるプロの世界では、若手にチャンスを与える余裕はない。そんな現状を、クリストフ・ダウムはどのように考えているのだろうか。
「そうだな。EUの政治的な決定もあるから、今のブンデスリーガで、自国の若手を優先的に使うというルールを導入するのは無理だな。それでも可能性はある。トップクラブのアマチュアや二部リーグなど、まだまだ十分に経験を積める場が残されているんだ。いまバイエルン・ミュンヘンで頭角を現している18歳のシュヴァインシュタイガーにしても、アマチュアでの活躍が認められたんだよ。とはいっても、全体的にはプロクラブの二軍(アマチュアチーム)には外国人が多すぎる。でもプロとは違って、そこは政治的に制限できる。今年の1月8日だと思ったけれど、ドイツ内務省が、各クラブのアマチュアチーム所属の外国人選手に対する規制案件を施行したはずだ。トップクラブのアマチュアだったら3部リーグに所属しているだろうし、そのレベルは、若手が経験を積むのに十分だからな。とはいっても、昔と違って、本当に上澄みの選手しか入り込めなくなっているけれどね。とにかく、かつての栄光を取り戻すために、できる限りの策を講じているんだよ」。
そうか。90年代に後退してしまった選手の育成アクションが、やっと以前のように活発になってきたということか。それでも、クリエイティブな選手が育ちにくいという傾向はつづいていると思うのだが・・。
「それには気候的な環境が大きく影響していると思う。ドイツは寒い。だから人々は、安全に生き延びることを発想のプライオリティーに置く。それがサッカーにも反映されているということさ。南の人々だったら、楽しむことを人生の主眼におくだろ。それが、彼らのテクニカルなサッカーに反映されているのさ」。徐々に、彼の声に余裕のある「艶」が出てきたように感じる。話すことで、確信レベルが上がっているのだろう。
「魅力的サッカーを中心テーマに置く国がある。逆に、結果を中心的なテーマにしている国がある。ドイツは、どちらかといえば後者だから、よりアスレチックで、軍隊的な傾向が強くなる。だからこそ、あくまでも組織プレーをベースに、ここぞの場面では個の才能を発揮して打開するようなタイプのクリエイティブ選手を輩出できていたんだ。でもたしかに、昔ほどアスレチックな選手タイプとのバランスがとれていないよな」。
そのアンバランスさが、ドイツ人の不満の元凶だった。だからこそ彼らは、美しく、強かった1972年のスーパーチームに思いを馳せるのである。それでは、何時、世界中から称賛されるようなサッカーに蘇えることができるのだろうか。
「サッカーは、10年単位で考えなければならないんだ。今は、90年代に寝ていたツケが回ってきている。それでもユースの育成に本格的に取り組みはじめていることを考えれば、ドイツの次の黄金期は、2010年頃になるはずだ。もちろん2006年の自国開催W杯では勝てるチームを組まなければならないけれど、1972年のように、組織的な勝負強さと創造性がハイレベルにバランスしたチームは難しいだろう。オレたちには時間が必要なんだよ」。
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クリストフ・ダウムとの対談は、予定を大幅にこえて行われた。それも、彼自身のドイツサッカーに対する思い入れの証なのだろう。自らに対する怒り、そしてドイツに対する思い入れも含め、志なかばでステージを去らなければならなくなった悔しさを感じた。
ドイツサッカーの光と陰。クリストフ・ダウムやサッカー関係者ばかりではなく、ドイツ国民のほとんどが「陰」のネガティブイメージに苛まれている。もちろん、ドイツ的なロジックに根ざした「陰」だから、我々が考えるものとは微妙にニュアンスは違うのだが・・。
世界を代表するフットボールネーション、ドイツ。いま、彼らの威信を懸けたチャレンジが深く進行している。そう、1970年代に魅せた、美しさと強さがバランスした高質なサッカーを取り戻すために。
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さて、いかがでしたか。
2006年のドイツワールドカップでは、魅力的なダイナミック攻撃サッカーへのチャレンジを最後までやり通すなど、「これは本物の復活か!?」と期待させたドイツ。それが今年のヨーロッパ選手権では、サッカーの内容で(技術や戦術の総体的なクオリティーで)スペインに凌駕されてしまうなど、ちょっと「下降気味の雰囲気」が支配するようになってしまった。まあ、とはいっても決勝まで進出したのだから、それはそれで大したものではあるけれど、あのサッカー内容では、勝負強い「だけ」のドイツという評価を払拭できないよね。
でも、ドイツ国内の全体的な雰囲気はポジティブですよ。国際会議では、多くのサッカーコーチと話す機会があるわけですが、彼らは、おしなべて前向きなのです。「大丈夫・・若手もしっかりと伸びてきているから・・」
まあ、そんなポジティブマインドの背景には、一昨日の土曜日に決勝が行われた「U19ヨーロッパ選手権」で、ドイツがイタリアを「3-1」で破って頂点に立ったこともあるんだろうね。たしかに、サッカーの内容も満足委雲のでした。組織プレーと個の勝負プレー、また美しさと勝負強さといった要素がハイレベルにバランスしていたのです。
とにかく、これからも、様々なコネクションを駆使してドイツサッカーの「推移」を注視していこうと思っている筆者なのでした。
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ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。
基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。
いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。
蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。
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