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2009_ACL準々決勝(その2)・・五秒間のドラマ・・そして、ケネディのアタマとポストプレーという効果的な変化ツール・・(GRvsFR, 3-1)・・(2009年9月30日、水曜日)

・・その瞬間、フロンターレのスーパー右サイドバック森勇介の「集中力」が、フッと途切れた・・グランパスの右サイドを、素晴らしいオーバーラップで駆け上がり、フリーでボールを持ったグランパス右サイドバックの田中隼磨のプレーに、意識と視線が吸い寄せられてしまったのだ・・完全なボールウォッチャーになってしまう森勇介・・

 ・・その瞬間(グランパスのサイドハーフ)マギヌンが爆発した・・森勇介の(自分を見ていない)マークの集中切れと、グランパスの核弾頭ケネディのアタマを狙ったクロスが「こぼれる」ことを明確にイメージし、全力ダッシュで決定的スペースへ入り込んでいったのだ・・

 ・・マギヌンは、アッという間に(彼をマークしていた)森勇介を置き去りにし、フロンターレゴール前に走り込んだケネディによって作り出された(ファーポストゾーンの)決定的スペースへ走り込んでいった・・そして、ケネディのアタマの上を通り越したボールが、ピタリと、走り込むマギヌンの足許に入っていった・・

 その後は、(マギヌンに)ダイレクトでシュートされ、フロンターレGK川島永嗣に弾かれたボールが、ケネディの足許に転がっていったという次第。これで、グランパスが「3-1」のリードを奪うことになりました。このままでは、グランパスが準決勝に進出する・・

グランパスが挙げた決定的な3点目のシーンを、久しぶりに、「五秒間のドラマ」風に表現してみました。ここで言いたかったことは、ギリギリの勝負では、一瞬の「集中ぎれ」が勝負を分ける・・ということです。

 全体的には、相変わらず素晴らしいプレーをつづけていた森勇介。でも、最後の、本当にもっとも大事な最後の一瞬に気を抜いてしまった。ある意味、理不尽なサッカー・・

 その失点シーンだけれど、森勇介は、自分の背後からの走り込みを狙っているマギヌンを、何度も振り返りながら、しっかりとマークしていたのですよ。でも、右サイドでグランパスの田中隼磨がボールを持ったところから、「勝負イメージの描写」がおろそかになり、意識の空白が生じてしまった。それは、ホントにクロスが上がってくるのかな〜〜・・ってな具合の「一瞬の心のスキ」だったのかもしれないね。

 一瞬で勝負が決まってしまうサッカー。それも、ボールから離れたところ(ボールのないところ)で・・。森勇介の「脳内イメージタンク」には、極限の悔しさを伴うこの失敗の体感が、明確に刻み込まれたことでしょう。フ〜〜ッ・・

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 まあ・・ということで、 「3-1」という決定的リードを奪ったグランパス。それでも、決して安泰じゃない。その時点で、一点さえ入れれば(3-2の敗戦でも、アウェーゴール二倍のルールによって)今度はフロンターレが準決勝に進出することになってしまうのだから・・。

 とにかく、その後の6-7分間に魅せたフロンターレの猛攻には、観ている者に「手に汗を握らせる」だけの迫力と魅力が込められていた。でも結局は、そのままタイムアップ。フムフム・・

 さて、このゲームでのテーマだけれど、冒頭の「五秒間のドラマ」以外には、やはり、「ケネディのアタマとポストプレーという武器」に対するイメージを「より徹底させた」グランパスという視点がありそうですね。

 ところでストイコビッチ監督。信じられないことに、この試合では、レッズから獲得したアレックスを守備的ハーフとして先発メンバーに入れた。そこは、(さまざまな視点で重要な意味を内包する!)チームの重心。攻守にわたって、もっとも汗かきプレーが(自ら汗かきの仕事を探し出すプレー姿勢が)問われるポジションだからネ。

 案の定、アレックスは、自分がボールを奪える状況でなければ、チェイス&チェック(守備の汗かきプレー)に気を入れないし、攻撃でも、ボールがないところでの「動き」が、緩慢の極みです。ストイコビッチ監督は、彼のゲームメイクとパス出しのセンスを買ったということなのだろうか・・!?

 また、グランパスの立ち上がりの攻めでも、ケネディのアタマやポストプレーを「効果的に活用しよう・・」というプレー姿勢が、まだまだ明確には感じられなかった。だから私は・・これじゃ、第一戦の二の舞になっちゃうゾ・・いくらポゼッションを上げたって、相手守備ブロックにとってイヤなゾーン(要は、人数とポジショニングが揃っていないところ≒スペース!?)を突いていけるわけじゃないんだから・・なんて思っていた。

 そして案の定、ボールキープ率は高いけれど、どうしてもシュートまでいけないグランパス・・それに対して、鋭くシンプルで、スピーディーな仕掛けを繰り出していく(より危険な攻めを繰り出していく!?)フロンターレ・・という構図が見え隠れするような立ち上がりのゲーム展開になっていった。でも・・

 そう・・、でも前半20分あたりだったですかネ、唐突に、グランパスがシンプルなタイミングで、最前線へロングボールを飛ばしたのですよ。ロングパスを供給したのは、左サイドでボールを持ったマギヌン。狙ったのは、最前線に張るケネディ。

 まさに一発ロングパス勝負。そのパスに最初に触ったのはケネディでした。フロンターレ森勇介の寄せがちょっとでも遅れたら、あわや先制ゴール・・ってなシーンだった。そして、その直後の前半22分にも、一発ロングパスからケネディがアタマで落とし、それを走り込んでいた小川佳純が惜しいシュートを放つというチャンスが演出された。

 そのあたりからでしたかネ、グランパスの攻撃にホンモノの勢いが乗っていったのは。要は、それまでとは違い、ホンモノの危険なニオイが漂うようになっていったということです。そのバックボーンは、もちろん、選手たちの「攻撃イメージ」に確信という心理ベースが整っていったこと。

 それは、「アッ・・ケネディのアタマを狙うようなロングパスを使ったシンプルな攻めの方が簡単にチャンスができる・・よし、しっかりとゲームをコントロールし、組織的に仕掛けるなかでも、たまには、シンプルにケネディのアタマやポストプレーを狙おう・・」なてんいう意志の統一プロセスだったのかもしれませんね。

 フロンターレ守備にとっては、やはり、もっとも怖いのは、ケネディーのアタマであり、彼のポストプレーなんだよ。いくらスマートにボールを動かしたって(ポゼッションを高めたって)、相手守備ブロックにとっては、自分たちの眼前でプレーされる分には、まったく怖くないからね。

 それに対して、一発でウラの決定的スペースを突かれてしまう危険性が高い「ケネディのアタマ」は、とても怖い。だから、そんな攻撃を仕掛けられたら、不安から、守備ブロックが不安定になる・・そうしたら、グランパスの組織パスを基盤にした崩しプロセスにも、安定して対処できなくなる・・。サッカーは、究極の心理ゲームなのです。

 仕掛けの「効果的な変化」の演出という意味で、ケネディのアタマとポストプレーを効果的に活用するというイメージが、チーム内で「より徹底」されてきたグランパス!? 

 もちろん組織プレーが(それを基盤にしたサイドゾーンの攻略が)イメージベースなんだだけれど、「その実効レベル」をより高揚させるためにも、もっともっと「ケネディ」を活用すべきだよね。そう、アジアチャンピオンを目指して・・

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 ところで、拙著「ボールのないところで勝負は決まる」の最新改訂版が出ました。まあ、ロングセラー。それについては「こちら」を参照してください。

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 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 




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