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2009_セリエA・・ロナウジーニョは終わった!?・・それに対してベッカムは順調に存在感をアップさせている・・(2009年2月8日、日曜日)

そりゃ、ないだろ〜〜。思わず、そんな声が出た。ミラン対レッジーナ。

 トップ争いをするミランが、最下位のレッジーナをホームに迎えたリーグ戦とはいっても、ピルロが出場停止のなかで(彼の代わりにディフェンスクオリティーの方が高いフラミニがチャンスを与えられたけれど・・)、局面での爆発的な個人勝負を除き(!?)攻守にわたる組織プレーの実効レベルという視点で、明らかにセードルフよりも劣る、ロナウジーニョを先発させるんだからね。

 この「人事」だったら、やっぱり、ピルロとアンブロジーニがコンビを組んだなかで、セードルフの代わりにロナウジーニョを使うっていう選択肢しかないんじゃないの・・

 案の定、ロナウジーニョは、まったく守備をしないだけではなく(自分のミスでボールを失っても追わない・・たまに、ちょっと追いかける素振りをするのが守備陣にとって大変な迷惑!?)、攻撃でも、ボールがないところでの組織プレーの量と質(パスレシーブやスペース作りの動きなど)が追い付かず、ボールを持っても、明らかに持ち過ぎたり、自分が中心になったコンビネーションを演出するための「ワンのパス & 自分がリターンパスをもらうためのムーブ」を狙い過ぎるなど、「チームワークのリズムを乱すプレー」に終始する。

 チームワークリズムの攪乱という意味では、ポジションを下げ(過ぎ)てボールを要求するような自分勝手なプレーも目立ち過ぎるよね。いつも自分が王様・・。たまには、攻守わたる「使われるプレー」も意識し、自分から「泥をかぶる」ような汗かきもやったら、チームメイトにも認められるのにね。

 相手は、ロナウジーニョが、受けたボールを「こねくり回し」たり「自分中心のワンのパス」を出したりすると確信しているから、そのイメージでボール奪取勝負を仕掛けていくのですよ。まあ、ミラン選手が、ロナウジーニョがボールを持った状態で、足を止めて様子見になってしまうのも道理といった流れなのです(まあ・・ブラジル代表の仲間であるカカーやパトは、ロナウジーニョのために!? ちょっと一生懸命になっているフシはあったけれど・・)。

 そんなロナウジーニョだけれど、もちろん「ツボにはまれ」ば、今でも、彼にしか出来ない勝負の突破ドリブルや、(決定的スルーパスを前提にした!)タメのボールキープなど、素晴らしい勝負プレーを魅せてくれる。でも、そのスーパープレーの「本当の実効レベル」が、あまりにも貧弱に過ぎるというのも確かな事実なのですよ。

 とはいってもサ、一試合に一回「だけ」爆発的なスーパープレーでゴールを割り、それが決勝点になってしまうっちゅう「理不尽なサッカー的現象」の可能性だってあるわけだから、プロサッカーはエンターテイメントであることも含めて「それでもいい」っちゅう発想だってあるわけだけれどネ・・でもまあ、昔と違って、そんな「一点豪華主義!?」はファンにも受け容れられないかな・・フムフム・・

 とにかくミランが、あくまでも(攻守にわたる)組織プレーを絶対的なベースに、状況を見計らった「天才ベースの勝負プレー」の爆発を望んでいることだけは間違いないよね。実効ある組織プレーと、相手に恐怖を与えるような「仕掛けの雰囲気をガラッと変えてしまう」素晴らしい個人プレーを高みでバランスさせることが、ロナウジーニョという天才を抱えたマネージメントの目指すところということか。でも・・

 いつも書いているように、個の才能の「単純総計」としての「チーム総合力の差」を効果的にグラウンド上に現出させる(その差を増幅させて表現する!?)ためには、攻守にわたる絶対的な運動量(ボールがないところでの効果的プレー・・意志のパワー)で、相手と同等かそれ以上でなければならないということです。

 わたしは、この試合のミランには「その姿勢」が足りなかったと思っています。もちろん、何度かは惜しいチャンスを作り出したけれど、それは、レッジーナ守備ブロックを振り回して決定的スペースを突くような「圧倒的なチカラの差」を感じさせるようなモノでもなかったですしね。

 まあ、引き分けに終わってしまった要因の大きな部分は(もちろんピルロの不在も、ものすごく大きかったわけだけれど・・)ロナウジーニョの怠惰なプレーが引き金となった、チーム全体の「組織イメージの不協和音」に拠るモノだったということですかね。また、たしかにロナウジーニョは交替したけれど、このイメージの不協和音を調整し、組織プレーを再び正しいベクトル上に戻すための「リーダーシップ」を発揮する選手も最後まで現れなかった!?

 もちろん、負けていることで、全体的な前へ行くエネルギーはどんどん増幅していったわけだけれど、その流れのなかで、それぞれの選手が描く仕掛けアイデアの統一感(仕掛けイメージの優れたシンクロ状態)が最後まで効果レベルに達しなかったという側面は否めない!? さて・・

 デイヴィッド・ベッカムだけれど、その後も、シンプルな「ボールを動かすパス」や正確な(大きな)展開パス、そして危険きわまりないフリーキックやクロスボールなど、持ち味を発揮してチームを引っ張ったわけだけれど・・。まあ、結局ミランは、ツキに見放されたということも含め、レッジーナ守備ブロックの頑張りを、最後のところで突き崩せなかったということですかね。

 それにしても、ベッカムには本当によくボールが集まる。それは、チームメイトからのレスペクトと期待の高まりの証というわけだけれど、こんな短期間で(それもミランにおいて)そこまで存在感をアップさせたことに対しては素直にシャッポを脱がざるを得ないよね。ギャラクシーとミランとの交渉の行方が気になるトコロじゃありませんか。

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 ところで、拙著「ボールのないところで勝負は決まる」の最新改訂版が出ました。まあ、ロングセラー。それについては「こちら」を参照してください。

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 ということで・・しつこくて申し訳ありませんが、拙著『日本人はなぜシュートを打たないのか?(アスキー新書)』の告知もつづけさせてください。その基本コンセプトは、サッカーを語り合うための基盤整備・・。

 基本的には、サッカー経験のない(でも、ちょっとは興味のある)一般生活者やビジネスマン(レディー)の方々をターゲットに久しぶりに書き下ろした、ちょっと自信の新作です。わたしが開発したキーワードの「まとめ直し」というのが基本コンセプトですが、書き進めながら、やはりサッカーほど、実生活を投影するスポーツは他にはないと再認識していた次第。だからこそ、サッカーは21世紀社会のイメージリーダー・・。

 いま「六刷り」まできているのですが、この本については「こちら」を参照してください。また、スポナビでも「こんな感じ」で拙著を紹介していただきました。

 蛇足ですが、これまでに朝日新聞や日本経済新聞(書評を書いてくれた二宮清純さんが昨年のベスト3に選んでくれました)、東京新聞や様々な雑誌の書評で取り上げられました。NHKラジオの「著者に聞く」という番組で紹介されたり、スポナビ宇都宮徹壱さんのインタビュー記事もありました。また最近「こんな」元気が出る書評が出たり、音声を聞くことができる「ブックナビ」でも紹介されたりしました。

 




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