My Biography


My Biography(44)_戦友、奥寺康彦(その2)・・(2014年9月26日、金曜日)

■あるトレーニングでの一コマ・・

「オクッ!!・・オマエのパスが悪かったんだから、オマエが中に入れよ・・」

サッカー選手たちが、もっとも好きなボール回しゲーム。ウォームアップとしても、とてもポピュラーな「お遊び」形式のゲームだ。

それは、こんな感じ。

3人から5人の選手が、「外側」でサークルを組み、そのなかに1人から3人までのディフェンダー役が入る。そして、外側サークルの選手たちがボールをキープし、中のディフェンダー役が、そのボールを奪い返すという単純なボールキープゲームだ。

中のディフェンダー役は、自分たちがボールを奪い返せば(ボールに触るだけでもオーケーというのが普通!)、外側サークル(攻撃側)に戻れる。もちろんミスを犯した外側サークル選手は、今度はディフェンダー役としてサークルの中に入るという具合だ。

私も、もちろん好きだけれど、「1.FC Köln」のトッププロの場合は、やはりレベルが違った。とにかくボールの動きが、素早く、鋭く、そして創造的だ。

創造的といったのは、観ているコチラが想像もしないようなコースへ、それもダイレクトでパスしちゃったりするからだ。そう、いとも簡単に。

また、中のディフェンダーが、ちょっとでも油断したら、すぐさまディフェンダーの間に、スルーパスを通しちゃう。

ディフェンダー役は、自分たちの守備が、完全に崩されてしまったことを意味するスルーパスには、大いにプライドを傷つけられる。

それだけじゃなく、外側サークル選手たちは、そんな高度なスルーパスを通すたびに、「どうだっ!」ってな感じで、ニタニタと薄ら笑いを浮かべたりするんだよ。

そりゃ、単なる「お遊びゲーム」でも、たまには、ガンガンに熱くなっちゃうのも道理だ。

奥寺康彦も、最初、彼らのボール回しがとても高いレベルにあると感じていた(後で聞いたハナシだけれど・・)。だから、(技術的にだけではなく心理的にも!?)慣れるのに時間がかかった。

でも、私が定期的にトレーニングを訪れるようになった頃には、周りに引けを取ることなく、いや、ドイツのプロ選手以上に器用に(創造的に!)ボールを回せるようになっていたっけ。

まあ、そんな変化にも、彼の自信の深まりが垣間見えていたということだね。

そんなある日のこと、そのボール回しゲームで、「1.FC Köln」のベテランスターがミスを犯し、ボールを失ってしまったんだ。

でも、そのベテランスターは、自分の非を認めようとしなかった。

そして冒頭のように、奥寺康彦に、責任を押しつけようとしたのだ。ちなみに、奥寺康彦は、「オク」というニックネームで呼ばれていた。

もちろん私だけじゃなく、一緒にボール回しゲームに興じていたチームメイトや、トレーニングを観にきていたファンの人たち全てが、その老獪なベテランスターのミスだと分かっている。そして、当の奥寺も。でも・・

そう、彼は、ちょっと不満げな顔はしたけれど、結局は、ベテランスターのゴリ押し主張のままに、サークルの中に入ったんだよ。

■正義を主張しなければ「闘う同士」として認められない・・

そんなことをしちゃ、ダメだ・・。

奥寺康彦の態度を見たとき、心のなかで叫んでいた。

プロスポーツの世界じゃ、アンフェアに責任を押しつけられるような(不正義な!)ケースでは、キッチリと正当性を主張しなければならない。

反論せずに、(その状況を正しく判断している!?)周りからの「賛同の雰囲気」を期待するような受け身の姿勢じゃ、チーム内での立場を確固たるものに確立できないだけじゃなく、逆に、ネガティブな状況に陥ってしまうのがオチだ。

要は、誰もが奥寺康彦のミスじゃないことを知っている状況で、いくらベテランスターとはいえ、その理不尽な主張(不正義)に従ったことは、明確にネガティブに記憶されるということだ。

闘うところは、しっかりと闘わなければ(主張しなければ!)いけない。それが、プロの大原則なのである。

安易な妥協をしたら、仲間は、それを「逃げ」と捉え、決して、頼りになる「闘う同士」として彼をレスペクトすることはないというわけだ。

それが、「しょうがないな〜・・まあ、ここは丸く収めておくか・・後から主張すればいいや・・」なんていう大人の対応を意図したものだったとしても・・また奥寺康彦が、まだ十分にドイツ語でコミュニケートできないという事情があったにしても・・だ。

「後から・・」というのでは、まったく意味を為さない。サッカーという闘いの場に臨む選手たちにとっては、「その場・その瞬間」で起きたことが全てなのである。

我々コーチは、そのような瞬間的なコミュニケーション能力のことを、「現場の瞬発力」と呼ぶ。

あっと・・、奥寺康彦の、受け身に「引くような」コミュニケーション現象だった。それは、良くない。

そして、仲間のあいだで、「ヤツは、人間としてはいいけれど、闘う同士としては頼りない・・」なんていう、「柔(やわ)なパーソナリティー」のイメージが定着してしまう。

それは、プロサッカーの現場では、とてもネガティブなことなんだ。

■ちょっと脱線・・でも、正義を超えた「プロの特殊な力学」もあるんだよ・・

もちろんプロ選手たちも、正義を重んじる。正義は、プロの社会においても、もっとも重要な社会性ベースなんだ。

でもプロチームには、様々な「思惑」が複雑に絡み合うことで、普通の社会正義が、「プロの特殊な力学」によって歪む場合もある。

そう、ディエゴ・マラドーナやメッシといった、例外的に優れた才能(超天才)が、その力学の「重心」にいるようなケースだ。

そう、プロだからこそ、その時点で、チームにとってかけがえのない(唯一無二の!?)価値を生み出せる超天才プレイヤーは、特別扱いする方が、チームの目的を達成するために「プラス」になるという判断。

その場合、「その他」の選手たちは、その力学のなかで、臨機応変に対応せざるを得ない。

まあ、このケースでは、もしそのオールドスターが、「その時点でも!」完璧なスーパープレイヤーだったらハナシは別ということになる。

そんなケースじゃ、彼の理不尽な言動にも、チームメイトたちとの「あうんの理解」とともに、大人の態度で対応する方が、チームとしての目的を達成するために正解というわけだ。

でも「それ」は、とても希なレアケース。

ほとんどケースでは、(チーム内ヒエラルキーに応じて!?)自己主張をぶつけ合うことで、チーム内のポジションを築いていく(逆に失っていく!)というのが、本場プロの世界なのである。

ということで、このケースを、もう一度振り返ってみよう。

たしかに、主力を張るというステータスは錆びついていたけれど、それでも、その老獪な「元」スター選手は、知名度や人気、また影響力で、まだまだチーム内でビッグな存在だった。

逆から見れば、だからこそ、彼と「ぶつかり合う」ことは、奥寺康彦にとって、チーム内で様々なアドバンテージを築き上げる「機会」だったのかもしれない。

そう、そのオールドスターに対して正義を主張することで、そのアンフェアな不正義を(!?)効果的に逆利用し、チーム内での存在感をアップさせられたかもしれないのだ。

■そんな事情を分かったうえで、彼と話し合ったっけ・・

その日のトレーニングが終わった後の、例の、クラブハウス2階のレストラン。

その当時は、まだ街中の「クナイペ」へ行くようなことはしなかった。何せ、奥寺康彦については、大々的に地元の新聞やテレビなどで報道されていたからね。

何せ彼は、日本人で最初のプロサッカー選手だったんだから。

クラブハウスのレストラン。そこは、街中のクナイペとは違う。

もちろん一般の客もいたけれど、そんな人々も、例外なく、派手なプロ選手たちとは一線を画し、自分たちの世界のなかで会話を楽しんでいた。

まあ、スターが近くにいることで騒ぐような客は、そこには来ない(入れてもらえない!?)ということだったのかもしれないけれど・・。

そして、奥寺康彦との会話がはじまった。

「今日のトレーニングだけれどサ・・そこで、ちょっと気になるコトがあったんだよ・・それについてオレの意見を言っていい?」

「もちろん・・」と、オク。

「今日のボール回しゲームで、あの古株スターのミスなのに、彼に言われてオクがディフェンスに入ったじゃない・・あれって、オレの目には、オクが、ヤツの理不尽なエゴイズムに屈したって映るんだよ・・実際は、どうだったんだい?」

「うん・・オレだって、そりゃないよって思ったさ・・でも、ユアサも含めて、周りも、それが理不尽なゴリ押しの主張だって分かっていただろ・・それに、いまの彼は微妙な立場だし、オレのドイツ語じゃ、うまく説明も出来ないから、まあ、いいやって思ったんだよ・・」

「微妙って、彼がレギュラーから外れ気味で、たぶん近く引退するかもしれないっていうことだろ!?・・でもあの場面って、オクが正しい自己主張をするチャ ンスだったんじゃないの?・・いや、今のはオレが悪いんじゃないってサ・・ヤツがスターだから、なおさら、よい機会だとも思ったよ・・」

「そう・・オレも、それは考えた・・だけど、やっぱり、あの人はスターだし、オレも好きだったから、遠慮してしまったんだろうな・・彼にしても、その主張は間違っているって、自分自身でも知っていたはずだしさ・・まあ、恥をかかせないという意味も含めてネ・・」

やっぱり奥寺康彦は、「そこ」まで考えていた。でも・・

「いや、オレは、オクがプロとして、チームのなかでのイメージや立場を強める、良いチャンスだったと思うんだよ・・チームメイトにしたって、そりゃ、ない だろ〜、なんて思っただろうし、そこでオクが、どのように反応するのかも見ていたはずだよ・・だからこそ、なおさらって思うんだ・・」

私は、チーム内ヒエラルキー(序列)ポジションを考えて臨機応変に対応する必要もあるだろうけれど、とにかく相手が誰であれ、正しい主張をすることは、プロ選手として、とても大切な態度だと主張していた。

「オレはさ、ハインツ・フローエとかヘルベルト・ノイマンといったチームの主力スター選手が、オクに対して理不尽なコトを言った場合でも、しっかりと主張 すべきだと思うんだよ・・オクの人間性だから、いつもの感覚で主張すれば、とてもソフトで素直に受け容れられると思うよ・・もちろん、その主張が通らない 場合もあるだろうけどサ・・」

「とにかく、一番いけないのは、何も主張せずに、なるべく穏やかにコトを済ませようとすることだと思うよ・・そんな姿勢が、チームメイトたちに、どのように受け止められるかが問題なんだ・・」

「でも、とても誠実で思やりがあり、謙虚なオクが、誰が聞いても正しいと思える主張をすれば、その効果は抜群だと思うんだよ・・まして、そのときの相手は、あのオールドスターだろ・・」

そんな私の主張に、奥寺康彦が、応える。

「うん、ユアサの言っている意味は、よく分かるよ・・」

「相手が誰であれ、自分が正しいと思ったことを、自分の感覚にしたがって主張しなければならないということだよね・・確かに、この頃、もっと自分の方から言わなければならないと感じはじめてはいたんだ・・でも、ドイツ語が・・」

「いやいや・・ドイツ語じゃなくたっていいんだよ・・オクが何かを主張したいと思う場面って、多分100%、周りもチームメイトたちも、オクが正しいって 感じているだろうから、もう、日本語で、ジェスチャーを交えて主張すればいいんだ・・そう、それだよ・・日本語だ〜!!・・」

■そして・・

まあ、そんな私との会話がモティベーションになったかどうかは定かじゃないけれど、それからの奥寺康彦は、徐々に変化していったと感じた。

具体的には、攻守にわたって、より積極的にプレーするようになったということだね。それまでの遠慮がちの(ちょっと様子見が多すぎる!?)プレー姿勢じゃなく、より積極的に、攻守にわたって「仕事を探し」はじめるようになったんだよ。

積極的にプレーするということは、正しい主張をすることと同義だから・・ネ。

また、前述のような「理不尽なシーン」に遭遇したときでも、正しい主張をするようになった。もちろん、ドイツ語と日本語のチャンポンで、ジェスチャーも交えながらね。

そして彼のチーム内ヒエラルキーポジションも、格段にアップしていったというわけだ。

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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