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- 2010_日本代表・・結局は、目指すサッカーをグラウンド上に体現するための「意志」が足りなかった・・(日本vsベネズエラ、0-0)・・(2010年2月2日、火曜日)
- まず最初に、日本代表は、ベネズエラ代表に感謝しなければいけません。
攻守にわたる全力の組織プレー(特にディフェンスでの忠実な組織プレッシング)・・素晴らしい。だからこそ、日本代表にとっては、とても素敵な学習機会になるばすだった。
もちろんベネズエラは、何人かの主力が欠けているからベストメンバーではなかったけれど、南米の本場チームが、あれだけ気合いを入れた(強烈な意志を前面に押し出した!)プレーをしてくれれば、そしてそれに対して日本代表も「ガチンコの勝負」を挑んでいけたとしたら、素晴らしい学習機会になったはずなのに・・。
そういえば、2008年8月20日に札幌で行われたウルグアイ代表との国際フレンドリーマッチも、素敵な学習機会の可能性が十分に内包されていたっけ。彼らもまた、手抜きのない、攻守にわたって気合いが乗ったプレーを魅せてくたれたのですよ。だからこそ、日本代表にとって、素晴らしい学習機会になる「はず」だった・・。そのウルグアイ戦のレポートは「こちら」を参照してください。
さて、ということで今日のベネズエラ戦。残念だったのは、そんな素晴らしい学習機会を、日本代表は、うまく活用しきれなかったことです。ホームゲームなんだし、今日プレーした何人かの選手にとっても「代表サバイバル戦」だったはずだから、もっともっと主体的に(人間の弱さとも!?)戦いつづけ、リスクにもチャレンジしていかなければならなかった。
総合的なチカラ(とくに戦術的なアイデアレベル)では、日本の方が上だったと思いますよ。だからこそ、「究極の組織プレーを志向する」という岡田ジャパンの絶対的なコンセプトを、もっともっと突き詰めていけたはず。でも結局は、中盤でのダイナミズムを最高レベルまで高揚させられなかった。
「その現象」の要因は、守備での「ダイナミックな有機連鎖コンビネーション」がうまく機能しなかったことだけではなく、攻撃でも、ボールがないところでの動きをベースにした「人とボールの動きの連鎖レベル」を最高レベルまで引き上げられなかったということですかね。
またまた表現が難し過ぎるって!? スミマセン・・。
要は、例えば守備では、チェイス&チェック(チャレンジ&カバー)という、守備の起点を作り出す汗かきのディフェンスプレーと、周りのボール奪取プレー(インターセプト狙いや協力プレスへの寄せ・・はたまた相手トラップの瞬間を狙ったアタック)が、うまく連動していなかったということです。だから、高い位置でのボール奪取から「ショートカウンター」を仕掛けていくというチャンスをうまく作り出すことができなかった。
また攻撃でも、(たしかに、後半最後の15分間は、相手のウラのスペースを突いていける可能性にあふれた、流れるような組織プレーを繰り出していったけれど・・)全体的には、人とボールの動きが連動していたとは、とても言えなかった。
そりゃ、そうだ。ボールがないところでの忠実なフリーランニング(自分がパスをレシーブするだけではなく味方にスペースを作るというアイデアも含めた動き)が不足していただけではなく、パス&ムーブにも勢いが感じられなかったわけだから・・
世界の強者に対して、「究極の組織プレー」をもってチャレンジしていこうとしている岡田ジャパン!? 私は、そのように理解しています。もちろん最後は、「臨機応変のゲームペースのコントロール」という難しい作業が、ある程度はできるようになっているという前提条件も含めてネ。
そのために、まず何といっても、絶対的な動きの量と質で、相手を凌駕できていなければなりません(気候とかの条件を鑑みたうえで、少なくとも相手に走り勝つというチームに統一された意志をもってゲームに臨む!)。それがあってはじめて、攻守にわたって、出来る限り多くの局面で「数的に優位な状態」を作り出せるのです。そして究極の組織プレーが、最高の効果レベルを発揮する。フムフム・・
そんなチームのコンセプトを「深化」させるために、このベネズエラ戦は、彼らがダイナミックな組織ディフェンスを展開したという意味も含めて、まさに理想的なフレンドリーマッチだったと思うのですよ。だから、欧州組がいなかったことが、本当に残念で仕方なかった。あっと・・スミマセン・・タラレバのハナシをしても・・
そんな理想的な相手に対して、日本代表は、お世辞にも、自分たちが目指すサッカーをうまく表現できた・・究極の組織プレーに近づいていけた・・とは言えなかった。それもまた、「意志」の問題だったわけですが、究極の組織プレーを志向する彼らの場合、選手全員が、同じように高い「意志のレベル」まで到達していなければならないわけです。
要は、この試合での日本代表チームの「意志のレベル」は、選手によってかなりの高低差があったということです。
そう、互いに使い、使われるという根源的なメカニズムに対する理解と意志。その部分で足りないところがあった選手の代表格が小笠原満男だったことに異論はないでしょう。
要は、彼は「自分がチームの中心」というサッカーに慣れきっているということです。アントラーズでは、彼にボールが集められるからね。日本代表でも「そんな王様プレー」がやりたいなら、誰もが納得するくらいの「個の勝負」を魅せてくれなければいけません。
でも彼は、ドリブルで相手を置き去りにできたわけでもないし、逆に、自分のところで何度もボールを奪い返されてしまった。それだけじゃなく、例によっての素晴らしいボールコントロールからシンプルに展開パスを回すのはいいけれど、必ずといっていいほど「そこで足を止め」て、自分にボールが返されてくるのを待つのですよ。要は、パス&ムーブがないということです。でも、日本代表じゃ、アントラーズのように、彼にボールが返されてくるはずがない。そして小笠原は、自分が「置いてけぼり」になってしまったことを自覚し、うつむきながら後追いする。
また守備でも、彼が全力でアクトするのは、自分がボールを奪い返せる場面だけ(攻撃でも、絶対にパスをもらえる状況にしかスペースランニングをしない!)。まあ、この性向は、稲本潤一もそうだけれど、とにかく、周りの味方にボールを奪い返させるために「汗かきのチェイス&チェック」にも全精力を傾注するとい発想は、目立たないよね。
そんなだったら、(いくらフリーでも!)足を止めて「オレにボールをよこせ!」という態度をしても、周りに無視されるのも道理だよね。彼は、ディエゴ・マラドーナではないのですよ。
たしかに、何本か魅力的な勝負パスを供給したし、見事な中距離シュートも放った。それは、彼が秘める素晴らしい才能の証明です。でも・・ネ、やはり、そんな彼の「部分的な才能」もまた、人代表が目指すサッカーにとっての「価値」という視点で考えれば、彼に賭けられるレベルじゃない。
だからこそ彼も、攻守にわたる汗かきプレーに「も」全力で取り組まなければならないのですよ。もし小笠原満男が、中村憲剛や遠藤保仁のように、攻守にわたって、目立たないところで「も」素晴らしい汗かきのプレーを展開し、互いに使い、使われながら、 動きのなかでボールの動きを「加速」させていけるならば(究極の組織プレーというベクトルに本当の意味で乗っていけるならば)、もちろん素晴らしい「補強」になるでしょう。でも、今日のパフォーマンスでは・・
まあ、まだこれから「代表サバイバル戦」が三試合ありますからネ。そこで、岡田ジャパンが目指すベクトルに乗れるようになることを願って止みません。何せ、彼のような才能が、本当の意味での組織プレーに目覚めたら、それに越したことはないわけだから。
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