My Biography


My Biography(22)_ケルンNo.1プロクラブ(1.FC.Köln=FCケルン)アマチュアチームへのチャレンジ(その2)・・(2014年1月29日、水曜日)

■自分の意見を、しっかりと明確にすることの意義・・

「キミは、どのポジションが得意なんだい?」

ゲロー・ビーザンツさんが、そんなことを聞いてきた。

「得意なポジションですか?・・日本では中盤でプレーしていました」

「そうか・・それじゃ、どんなタイプのミッドフィールダーだったんだい?」

ビーザンツさんは、どんどん突っ込んできたっけ。

ちょっとビビッたけれど、それでも、ドイツでは、明確に話すことこそが大事だと聞かされていたから、姿勢を正し、しっかりと答えようとしていた。

あっと・・、そのハナシは、誰から聞いたんだっけ!?

そうか、当時、読売サッカークラブの監督をしていた(私をベッカーさんに紹介してくれた!)オランダ人プロコーチ、ファン・バルコムだった。

彼は、日本で監督をやりながら、しっかりと日本人を観察していたんだよ。そのこともあって、日本人の「どっちつかずの曖昧な表現」を問題視していたんだ。

それは、まあ、日本人特有の「甘え」とも捉えられるわけだけれど、ファン・バルコムは、日本人が自分の意見をしっかりと(明確に)言わないことで、選手やマネージメントとの間で、様々な「誤解」が生じたと言っていた。

だからファン・バルコムは、チームに対して、コトを曖昧にするような話し方こそが、特にプロサッカーにおいては、問題を発生させる元凶だと言い聞かせていたというのだ。

「だからキミは、ドイツに行ったら、とにかく自分の考えていることや感じたこと、また望むことを、明確に相手に伝えなければいけないよ・・アチラじゃ、言葉のウラに日本的な期待を込めたって、相手が、それを慮(おもんぱか)ってくれることなんて、ほとんどないからね・・」

■ゲロー・ビーザンツさんを待ちながら・・

トレーニングへやってくる1.FC.Kölnのスター選手たちに(その存在感に!)圧倒されていたところまでは、前回コラムで書いた。

そのとき、グラウンドを取り囲むように設(しつら)えてある鉄パイプ製の「仕切り囲い」 に腰を掛けていたのだけれど、まさにケツから根が生えたように、身じろぎさえ出来なくなっていたんだ。

でも、そのとき救世主が・・

そんな、半分フリーズした(だらしない!?)状態に陥っていたとき、グラウンド整備の方が近寄ってきて、優しく話し掛けてくれたんだよ。まさに、渡りに船とは、このことだった。

その方は、ドイツ訛りの英語で話し掛けてくれた。

「貴方は、東洋人のようだけれど、どこからいらっしゃったのですか?」

「そうですか・・日本人の方ですか・・そういえば、我々の監督の関係で、日本の選手が、ゲストとして、ウチのプロチームでトレーニングしたこともあったはずだけれど・・」

たしかに、三菱重工や日本代表で監督を務めた二宮寛さんは、ケルン監督のヘネス・ヴァイスヴァイラーと親交が深いと聞いていた。

「はい、そのことは聞いていました・・日本サッカーは、ヘネス・ヴァイスヴァイラーさんとか、デットマール・クラーマーさんなど、ドイツから大きく影響を受けていますからね・・」

「エッ!?・・誰ですって?」

ヴァイスヴァイラーとか、クラーマーという名前には、発音の難しい「W」とか「R」が使われている。だから、そのときの私に、正しく発音することなんて望むべくもなかったんだよ。そのグラウンド整備の方が、名前をよく理解できなかったのも道理というわけだ。

だから仕方なく、紙とボールペンを取り出し、その名前を書いた。

「あ〜〜っ!! ヴァイスヴァイラーとクラーマーね・・たしかに彼らは、日本サッカーと関わりが深いって聞いてますよ」

でも、そんなこと(私の拙いドイツ語のことだよ・・!)をキッカケにして、その方とのハナシが弾んだっけ。そして、根が深く張りめぐらされる感じだった「ケツ」が、徐々に軽くなっていった。

やはり、人との関わりほど、「気持ち」に大きく影響するモノはない・・ということか。

そして、ひとしきりハナシが弾んだ後で(気持ちの距離が縮まってから!)、その方に聞いてみたというわけだ。

「実は、今日ここに来たのは、アマチュアチームの監督さんを尋ねるためなんですよ・・」

「へ〜、そうなんだ・・ゲロー・ビーザンツさんね・・彼のトレーニングは夜だから、クラブハウスに来るのは、5時過ぎだよ・・」

■ゲロー・ビーザンツさんとの出会い・・

・・そうか〜っ・・5時過ぎか・・まあ、いいや・・それまで、1.FC.Kölnのプロトップチームのトレーニングを見ていよう・・

時間は、午後3時を少し回ったところ。プロのトレーニングは、リーグ戦キックオフの時間に合わせて、3時半からだった。

プロのトレーニングだけれど、書きはじめたら止まらなくなるだろうから、それについては別の機会に回そう。

それよりも、ゲロー・ビーザンツさんだ。

5時を過ぎたところで、先ほど声を掛けてくれたクラブ従業員の方が、再び寄ってきてくれた。

「あそこでクルマを駐車している方が、ゲロー・ビーザンツさんだよ・・」

「いろいろと教えていただき、本当に、どうもありがとうございました」

その方に感謝し、ビーザンツさんへと視線をはしらせた。

歳は40代半ば。髪は少し薄いし、背も高くはないけれど、スマートで、とにかく精悍な感じのミドルエイジ・スポーツマンという雰囲気を振りまいている。

まさに、「これぞプロコーチ」というオーラを放っているのだ。

カッコ良い・・

ミッテルライン州サッカー協会のベッカーさんから、ゲロー・ビーザンツさんが、ケルン体育大学で教鞭を執っているだけじゃなく、ドイツサッカー協会が主催する、プロコーチ養成コース(コーチングスクール)でも総責任者を務めていると聞いていた。

要は、1.FC.Kölnアマチュアチームの監督さんというだけじゃなく、私が目指している活動領域でもキーパーソンということじゃないか。

だから、そのときの私が、とても緊張していたのは言うまでもない。

ゲロー・ビーザンツさんが、私のことを見た。あ〜、冷や汗が・・

でも、そんな緊張が、すぐに消し飛んでいったことを思い出す。

私に近寄ってきたゲロー・ビーザンツさんの方から、気軽な感じで声を掛けてくれたんだよ。

「どうも・・キミのことはベッカーさんから聞いているよ・・ミスター・ケンジでしょ?・・」

以前の連載で、ゲロー・ビーザンツさんが、私の名前を正しく発音できなかったと書いたけれど、それは、ケルン体育大学で、私の名前を、リストからアルファベットで「読んだ」からだった。

そのときは、ベッカーさんから名前を聞いていたことで、「耳で知っていた」から問題なかったというわけだ。

会話は、もちろん英語だ。ビーザンツさんも、とても流暢な英語をしゃべる。

「とにかく、私のオフィスにいらっしゃい・・」と、クラブハウスのなかへと案内してくれる。

■サッカーという、最高の「異文化接点」・・

当時は、プロとアマチュア、またユースチームの更衣室やシャワー室は、クラブハウスのなかの同じ地下スペースにあった。

もちろん更衣室やシャワー室は、それぞれのチームで独立しているけれど、それでも、素っ裸でカッポするスター選手とすれ違ったりするのだから、おのずと「うつむき気味」になってしまうんだよ。だらしない・・

まあ、私が、誰と遭遇しても、目を合わせて「互角の雰囲気」で挨拶できるようになるまでには、ある程度の時間が必要だったということだ。

もちろん「それ」は、ヨーロッパ人に対する(文化的な!?)コンプレックスがあったから。その「深み」から、本当の意味で解放されまでに時間が必要だったというわけだ。

でも私には、そんなコンプレックスからの解放プロセスを加速させてくれる「媒体」があった。

そう、サッカーという本音の世界。

私は、サッカーを、人類史上でも最大パワーを秘める「異文化接点」と呼ぶことがある。

サッカーには、人種や国籍、言語、性別や職業や社会的立場など、全ての「異なった文化」を、スムーズに結びつけてしまうチカラが備わっていると思うのだ。

だからこそ私は、その「媒体」によって、ホンモノの対等コミュニケーションも、かなり短期間で、不自由なく取れるようになったと思うのである。

そりゃ、そうだ。

イレギュラーするボールを足であつかうことで、次の瞬間に何が起きるか分からないというのがサッカーなのである。

そんな不確実なファクターが満載しているからこそ、最後は自由にプレーせざるを得ない。そして、だからこそ、自己主張しなければ、進歩、発展など望むべくもないというわけだ。

まあ、具体的には、自己主張しなければ、ミスの原因を全て押しつけられちゃう・・なんてことも言えるかも・・。

そういえば、私が留学した一年後に、日本人最初のプロ選手として1.FC.Kölnへ移籍してきた奥寺康彦も、そんな自己主張カルチャー(個人主義文化!?)の洗礼を受けたっけ。

最初のころの彼は、私と違い(!?)、自己主張が得意な方ではなかったんだよ。

まあ、私のドイツ留学時代の「戦友」でもある奥寺康彦とのエピソードについても、追い追い書き記していくことにしよう。

■ビーザンツさんのオフィス・・

私は、そのまま、ゲロー・ビーザンツさんの個室に招き入れられた。

デスクとロッカー、そしてシャワーがあるだけのオフィス。

「まあ、そこに座りなさい・・」

そんな感じで、会話がはじまり、そして、冒頭のハナシになっていったというわけだ。

「もちろん、やれと言われたら、どこでもやりますが・・」

「いや、キミは、まだテストトレーニングの段階だから、まず得意なポジションからはじめるのがいいよ・・もちろん、トレーニングの最後にやるゲームでのハナシだけれどネ・・」

その後ビーザンツさんは、私の気持ちを落ち着かせるように、日本でのサッカー事情とか生活の仕方など、私が話しやすい会話をリードしてくれた。

そして、ひとしきり話した後で、もう一度聞いてきた。

「それで、キミは、どんなタイプのミッドフィールダーだと思っているんだい?」

そんなコトを聞かれたって・・。でも意を決して、こんな言い方をした。

「そうですね・・攻撃的なミッドフィールダーですかね・・チャンスメイカーとか(要は、スターが付ける10番のポジションだ!)・・」

そう言った後で、顔が紅潮していくのを感じた。フ〜〜・・、またまた、だらしない・・。

「そうか、分かった・・トレーニングの最後には、いつも大きなゲームをやるから、そのとき、攻撃的ミッドフィールダーとしてプレーしなさい・・」

その後もビーザンツさんは、日本のサッカー事情について、色々な質問をしてきた。

彼は、聞き上手でもあった。トレーニングまでは、まだ時間があったから、私の下手な英語の説明を、忍耐づよく聞いてくれたっけ。

そして・・

「それじゃ、更衣室に案内しよう・・そろそろ選手たちも来はじめている頃だろうし・・」と、オフィスから更衣室へと先導してくれた。

私は、そんなビーザンツさんのテキパキとした言動に、優れたリーダーシップのニオイを感じていた。

■そして、更衣室・・

何人かの選手が、すでに着替えていた。

デカイ・・。それだけじゃなく、太い筋肉からも、彼らの凄まじいパワーを感じた。

フ〜〜ッ・・でも、もうここまで来たら、フッ切れるしかない・・

そして、「グーテンターク!!」と、大きな声を更衣室に響かせたっけ。

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

 追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。

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