My Biography


My Biography(34)_ヘルムートとベアーテ(その1)・・(2014年4月23日、水曜日)

■ヘルムート・・

まずヘルムートが「誰か」というトコロから入っていこうかね。

以前のストーリーで書いたけれど、彼は、FCユンカースドルフのオピニオンリーダーの一人だ。

そう、ユンカースドルフで(私が!)最初にトレーニングに参加した後のミーティングにおいて、ウリと(プレーイングマネージャーの)ヘルベルトの大議論に立ち会っていたアイツだ。

ウリと同じく、ケルン体育大学から、ケルン総合大学の医学部へとステップアップしたこともあって、どちらかといったら、ウリに近い友人と言えるかもしれない。

実は彼、サッカーについては、ほとんど素人同然でチームに参加してきたんだよ。「本職」は、陸上の10種競技選手。威風堂々とした体躯や、基本的な運動能力の高さからも、そのバックボーンがうかがえた。

私も、百メートル走で、かなり引き離されたっけ。

そのときは、1FC.Kölnアマチュアチームでチャレンジしたときのことを思い出したよ。そう、短距離の「往復走」で、ベルントに、大きく引き離されたときのことだ。

自分の足の遅さを実感させられるわけだから、気持ちいいはずがない。でも、まあ、現実だからサ・・。

もちろん、ヘルムートだけじゃなく、ベルントのときだって、テクニックじゃ、まったく負けていなかったけれど、フィジカルでは・・。フ〜〜ッ!!

ということでヘルムートは、チームのなかでも異彩を放つ存在だったわけだ。そんなヘルムートだけれど、ヤツのアタマのなかは、まさに(もちろん日本でいう!?)体育会系だった。

ベンチ要員の方が多かったけれど、そこから、檄を飛ばす、飛ばす。

「オイッ、なにやってんだ〜っ!!・・もっと頑張れよ〜っ!・・・・もっと必死に追いかけろ!!・・そこだっ!そこだっ!!」等など。

「あの」体躯だからね、声も大きいし、そりゃ迫力満点だったよ。そしてホントに、檄が飛ぶたびに、チームの雰囲気が引き締まったと感じた。それは、それで大したモノだった。

それって、リーダーシップの一つのカタチ!? まあ、そうとも言える。

またヘルムートは、ある意味、オピニオンリーダーでもあった。彼が話しはじめたら、みんな黙って聞き入ることが多かったんだよ。

でも、ドイツ語が分かりはじめてからは、ヘルムートの発言には、とても「大義名分」的なニュアンスが多いって感じるようになったんだ。

そう、「こうあるべき!!」ってな感じ。

だから、人間的なコミュニケーションにまで話しを深めようとしても、建前ばかりで、本音が出てこないとも感じていた。

要は、自分の弱みや、引け目に感じていることを、さらけ出さない(出せない!?)ということだね。自己防衛本能が強すぎる!?

だから話題も、自分の主張を展開できる社会的なモノや文化的なモノが多かった。それじゃ、コミュニケーションが、表面的なレベルに留まってしまうのも道理だ。

でもヘルムートは、ウリに対しては違っていたらしい。

「そうか〜・・オマエには、そんな表面ヅラしか見せなかったのか・・でも、オレには、自分の失敗や悩みを打ち明けていたよ・・まあ、それも、オマエが日本へ帰国した後になってのことだけれどね・・」

ウリが、最近(2011年ドイツ女子ワールドカップのとき!?)になって、ヘルムートについて、そんなコトを言ったんだ。

■ヘルムートとベアーテ・・

その時わたしは、ドイツ留学から帰国して(1981年)就いた読売サッカークラブでのコーチ生活を終え、マーケティングビジネスを立ち上げていた(1986年あたりのことだね)。

その関係で、頻繁に日本と外国を行き来していたんだ(特にヨーロッパ&ドイツ!)。

そのマーケティングビジネスだけれど、まあ、1986年から20年くらいの間かな。そしてドイツでのワールドカップ(2006年)の後は、徐々にビジネスをフェードアウトさせ、活動の比重をサッカーへ移していったんだ。

そのこともあって、ドイツワールドカップの後は、外国へ行く回数が、かなり減った。

とはいっても、今でもドイツへ行くたびに、サッカー観戦だけじゃなく、旧友たちと触れ合うようにしていることは言うまでもない。

あっと・・、すみませんネ、またまた「時系列」が混乱しかけている。ここでは、ベアーテのことを、私の留学当時から「最近」までを一気に追っている。ということで、まあ今回は、明快でしょ!?

ということで ヘルムートについてのハナシだけれど、ウリから、そのことを聞かされたのは、本当に、つい最近(2011年ドイツ女子ワールドカップのとき!?)になってのことだった。

例によって、ウリの家にお世話になっていたときのことだ。

寝る前の「儀式」にもなっていた、ワインやビール(たまにはシュナップス!)を片手に語り合うなかで、ひょんなことから、ヘルムートのことが話題にのぼってきたんだよ。

それは、今でも、とても近い友人の一人、エッセンに住む「ベアーテ」の近況を話し合っていたときのことだった。

「ベアーテは、とても元気にしているよ・・彼女の服飾ビジネスも、うまくいっているし、最近、新しいパートナーもできたようだしね・・」と、私。

ベアーテは、女性だ。彼女は、(1976年からはじまった!)私のドイツ留学時代、ヘルムートと夫婦だった。

ベアーテも、大学で経済学を学ぶ学生だったから、二人は学生結婚。そして、家計は、ベアーテが支えていた。

そのベアーテは、私にとって、とても大事な友人の一人だ。

もちろん、今でもドイツへ行くたびに、彼女の自宅に泊めてもらい、旧交を温めている。彼女の四人の子供たちも良い子ばかりだし、とてもリラックスできるんだよ。

もちろんウリも、ベアーテと、とても近い友人だった。でも、ウリが医者になり、ドイツ北端の町、フレンスブルクに移り住んでからは、疎遠になった。

そのこともあって、私が訪問したときは、二人をつなぐ架け橋になることもあったんだよ。ベアーテのところに泊まるときは、そこからウリに電話を掛けたし、その逆もあったというわけだ。

ハナシを戻して、2011年ドイツ女子ワールドカップのときにウリ宅に居候しているときのこと。

私は、ベアーテについて、ハナシをつづけた。

「最近になって、ヘルムートが、ベアーテをレストランに招待したというんだよ・・そこでヘルムートが、心を開くように、こんなことを言ったんだそうだ・・ベアーテがいなかったら、いまのオレはなかった・・ってね・・」

そのハナシは、私にとっても、とても感慨深いものだった。

「二人が離婚してからは、そこまで心を開いて会話したのは初めてだったらしい・・ベアーテも、そんなヘルムートの告白めいたハナシに、最初は驚き、そして、その言葉にウラがないことを知って、自然と涙があふれてきたということだった・・あの気の強いベアーテが、だぜ・・」

そんな私の話しに対して、ウリが反応する。

「そうか〜〜・・あのヘルムートが、素直に本音を表現したんだ・・考えてみたら、ヤツも、結婚していた当時は、色々な悩みを抱えていたんだよな・・よく、真夜中までクナイペで飲みながら、ヤツの悩みを聞いてやったよ・・」

「エッ!?・・ヘルムートが、自分の悩みをオマエに語っただって!?・・それは初耳だな・・オレに対しては、当時も、決して自分の悩みや弱みを見せること なんてなかったからな・・まあ、当時のオレのドイツ語じゃ、どうせ話しても分からないと思ったのかもしれないけれど・・」と、私。

そこで、前述したウリの言葉が出てきたというわけだ。

「でも、オレには、自分の失敗や悩みを打ち明けていたよ・・」

いまヘルムートは、エッセンで、医者として活躍している。

とてもプライドが高く、意地を張る傾向が強いヘルムート。その彼が、ウリには胸襟を開いていた。そして、最近になって、ベアーテに対して、心から感謝した(できた!?)。

そのとき、そんな、ちょっと「いい話」に、心が温まる気持ちにさせられたものだ。フムフム・・。

考えてみたら、ヘルムートとは、最近になって、(ベアーテや二人の子供を介して!)徐々に「距離」が縮まりはじめたと感じるようになったっけ。

私は、2006年ドイツワールドカップや、2011年ドイツ女子ワールドカップの期間中だけじゃなく、2013年ブラジルコンフェデレーションズカップの 後でも、休暇も兼ねてドイツに一ヶ月ほど滞在したんだけれど、そのプロセスで「徐々」に、ヘルムートとの親交が深まっていったということか。

たしかに、ベアーテ宅にお世話になっていたときに、パーティーなどで、会う機会が増えていったということもあったね。

そして、ヘルムートの優しい人間性を肌で感じられるようになっていったんだろう。

以前から、親切なヤツだとは思っていたけれど、どうしても「本音のコミュニケーション」が取れずに、距離を置くようになっていたからね。それが、今では・・。

まあ、二人とも60の大台に乗り、社会的にも、人間としても余裕が出てきたっちゅうことか。最近じゃ、スカイプを使って、たまにハナシをするようにもなっているんだよ。

35年以上の歳月を経て、人間的なコミュニケーションの大切さを「再び」実感する。

それは、ちょっと感慨深い経験ではあった。

■そしてベアーテ・・

あっと・・、私の留学時代のハナシに戻ろう。

実は、当時から私は、ベアーテとヘルムート夫婦に関しては、ベアーテとの距離の方が近かったんだ。

とにかくベアーテは、底抜けに明るい。ちょっと喋りすぎのところはあるけれど、人間性の機微なども、しっかりと感じることができるインテリジェンスにあふれた「超」美形のドイツ人女性なのだ。

身長は175センチ。細身で、スタイル抜群(まあ今では、ちょっと太めになっちゃったけれど・・)。そして、ドイツ人とは思えないほどの美人(あっ・・スミマセン・・ドイツ人にも美形は多いんだよ!)。

私は、ベアーテに、生活の面で、色々と助けてもらっただけじゃなく、彼女のご両親にも、まさに息子のようにかわいがられたんだ。

彼らは、エッセンに住んでいた。ケルンからは、北へ60キロ強の都市だけれど、そのエッセンには、ウリの叔母さん姉妹も住んでいたから、定期的に、ウリのクルマでエッセンを訪れていたというわけだ。

あっと・・ベアーテのことだった。

彼女の母親も父親も、それは、それは美形だ。あっと、父親については、美形「だった」と言わなければならない。

とにかく、二人とも、とても謙虚で誠実、思いやりのある優しい人間だった。

まさに、この両親にして、この子(ベアーテ)あり・・ってな感じかな。

いまでも私は、ベアーテの母親のことを、「ママ」と呼んでいる。

■逞しいベアーテ・・

前述したけれど、(私がドイツ留学していた当時)ヘルムート&ベアーテの家庭では、ベアーテ1人が家計を支えていた。

欧米では当たり前の感覚なんだけれど、彼らも、親に養ってもらおうなんて考えていなかったんだよ。まあヘルムートは、親から、少し援助してもらっていたらしいけれど・・。

そのベアーテ。今では、服飾ビジネスで成功しているけれど、当時は、学生結婚を維持するために、まさに何でもやった。

自分が通う大学の学生互助会でアルバイトしたり、ドイツの鉄道会社(当時は、西ドイツ国鉄!)でアルバイトしたり。

なかでも、 西ドイツ国鉄での仕事は、アルバイトとしては、「まあまあ」のレベルを超える収入を得ていた。

車内の「多言語サービス係」。

彼女は、言葉の才能に長けているんだ。パリに長く生活していた(フランス人の恋人がいた!?)経験があるのだけれど、母国語だけじゃなく、英語、フランス語、スペイン語、イタリア語までも使いこなす。

特に英語とフランス語は、とても堪能だ。

あっと・・、そういえば、こんな経験をしたこともあったっけ。

大学の夏休み、1人で電車旅行に出たときのことだった。

フランス語での車内アナウンス。

そのとき、ハッと、あることに気がついた。

「この声・・どこかで聞いたことがある・・」

(つづく)

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これまでの「My Biography」については、「こちら」を見てください。

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 重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。

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