The 対談
- 「The 対談」シリーズ_第13回目・・ギド・ブッフヴァルトと、浦和レッズの三年間、そして日本人について語り合いました・・(2007年2月8日、木曜日)
- どうも皆さん、またまたご無沙汰してしまいました。いま、帰国して数日が経過したところ。時差ボケから徐々に解放されはじめているといったタイミングです。
今回のドイツでは、多くの友人達と旧交を温めながら情報&意見交換しただけではなく、4ゲームほどブンデスリーガも観戦してきました(それとは別に、友人が率いるユースサッカーのトレーニングマッチもいくつか観戦してきましたよ)。その意味でも、まあ、内容はあった。後は、いかにそれを自分なりにプロセスし、脳内の引出に整理してストックしていくのかというテーマが残るだけです。
そんな「内容」のいくつかについては、ブンデスリーガレポートやローラント・コッホとの対談など、既に現地で「メモ」を起こし、HPで発表しました。
そう、メモ。このホームページのコラムは、全てが、自分自身にとって大事なメモなのです。それは、想像や創造の「瞬発力」を高めるための学習リソースといったところですかね。
あっと、また前置きが・・。実は、ドイツ滞在中に、日本テレビの衛星放送「G+」から、あるサッカーゲームの解説を依頼されました。2004年11月20日に行われた、浦和レッズ対名古屋グランパスエイト戦。そして、2006年12月2日に行われた、浦和レッズ対ガンバ大阪戦。そうです。2004シーズンのセカンドステージでレッズの優勝が決まった試合と、はじめて彼らがリーグ優勝を達成した2006年シーズン最終戦です。
この試合は、「G+」の「Jリーグウィニングマッチ」という番組で、今月(2007年2月)の20日から23日にかけて放送されるとのことです。詳しい番組スケジュールについては、ご自分でお調べ下さいネ。
そのオファーと、今回のドイツ遠征でギド・ブッフヴァルトと対談するタイミングがピタリとシンクロしたのですよ。何かのサインかな・・なんて感じたものです。解説のテーマも、「ギド・ブッフヴァルトと浦和レッズの軌跡」だけではなく、「彼が考える日本人」というところに落とし込めるからね。
ということで、帰国早々の昨日、無事に番組の収録が終わった次第。解説のコンセプトは、もちろん「今この時点」でのもの。要は、試合展開も追いかけるけれど(戦術的な解説)、そこで絡んでくる様々なファクターに対して「事後的」な分析を加えたり、背景要因を探ったりするということです。
そんなコンセプトだから、結局わたしの解説の多くが、先週のギド・ブッフヴァルトとの対談内容も含め、「事後的な分析」という性格のものになってしまうのも道理といった展開でした。テレビ局の方々も「それ」を期待していたようで、全然オーケーです・・だってさ。自分でも、ちょっと「しゃべり過ぎ」だとは感じていたけれど、この番組の意図を考えれば、「まあ、いいかな」と際限なくしゃべりまくってしまい、「あっ、ゴールが決まってしまった・・スミマセン、しゃべりまくっちゃって・・」なんてことも起きてしまったりしてネ。あははっ。
さてここから本題。ギド・ブッフヴァルトとの対談です。テーマは前述したようなことですが(テレビで何をしゃべったかなんて正確に覚えていません・・申し訳ありませんが、それは番組をご覧アレ)、ここでは、あくまでも「メモ」という感じで、論点を絞り込んで「軽く」骨子だけをまとめることにします。それでは・・。
===========
「リーグと天皇杯のダブル優勝、おめでとう。ボクも本当にうれしかったよ。それにしても、ギドは強い星の下に生まれたよな・・」。
そこは、シュツットガルト近郊の小さな町。ギドの自宅があるところです。対談は、その町の中ほどにある、ギドが経営するテニスクラブのレストランで行われました。2007年1月29日の月曜日のこと。その前の週には(ローラント・コッホとの対談記事にも書いたように)ドカ雪が降りました。でも、その後の数日で雪は全部解けてしまった。
「(わたしの冒頭の祝福に対して・・)どうもありがとう。雪だけれど、ホントにすごかったんだぜ。急に1メートル近く降ったんだからな。ニッチもサッチもいかないというのはまさにあのことだよ。それが、ほんの数日で溶けて無くなってしまうだから。まさに異常気象だよな」。
そんな言葉を交わしてから、すぐに本題に入りました。この対談では、かなり多岐にわたる内容が話し合われたのですが、前述したように、ここでは、レッズのサッカー内容と日本人というテーマに絞り込んで「メモ」します。
「ところで2006年シーズンにレッズが展開したサッカーだけれどさ、それに対して、堅実に守備ブロックを組織することをベースに、あまりリスクを冒さずに攻め、個のチカラを主体にして挙げた少ないゴールを守りきって勝利するといったニュアンスが言われている。なかには、守備を固め、前線の三人で攻めるといった前後分断サッカーだったなんていう口の悪いメディアもいるよな・・」。
そんな私のアプローチに対して、ギドは、落ち着いて反応します。「要は、バランスなんだよ・・」。そこで彼が言っていたことの骨子は、こうです。
決して守備を固めることをチーム戦術の主体にしていたわけじゃない・・失点が圧倒的に少なかったこのは、守備意識の高揚も含め、この三年間に地道につづけてきたディフェンスでの修正作業が実った結果だったんだ・・2006年シーズンにしても、コンパクトな攻撃的プレッシングサッカーというコンセプトには、何らの揺らぎもなかったんだよ・・もちろん、選手のタイプや特質が、全体的なプレーのニュアンスに少なからず影響は与えたとは思うけれどね・・要は、バランスということさ・・。
フムフム、面白い。2006年シーズンのレッズ。その失点数の少なさは、まさにダントツでした。イメージ的には、ライバル達の「半分」ってな感じ。そんな結果を踏まえ、多くのメディアが、守備を固めるレッズ・・選手層の割には魅力に欠けた堅実サッカー・・などといったニュアンスの記事にはしるのも頷ける。
それに対してギドは、それは、決して受け身に(堅実に)守備を固めた結果ではなく、あくまでも地道な修正作業のタマモノだったと言うのです。要は、守備における「小さなコト」の修正を粘り強くにやりつづけたということです。そこでは、ビデオを編集して選手に見せたりもした。自分のミスを認めない選手に対して、そのビデオを見せることで反省させ、修正させるという粘り強い修正作業。
守備での「小さなコト」。例えば、守備の起点を演出するためのチェイス&チェックの内容、その周りでのマーキングのポジショニング、ボディシェイプと呼ばれるマークするときの体勢、相手との間合い、相手が仕掛けコンビネーションに入ったときの「最終勝負のスペースマネージメント」等々。その「小さなコト」のファクターには、まさに星の数ほどの広がりがあります。昨年のギドとの対談記事でも、そんなディフェンスの骨子を表現したつもりです。
決して、受け身に下がって守備ブロックを固めたわけじゃない・・。私は、ギドのニュアンスにアグリーでした。2004年シーズンでの、中盤をコンパクトに保ちながら、ガツガツと前から積極的にボールを奪いにいくという攻撃的なディフェンス姿勢が、2006年シーズンでは「バランス良く落ち着いてきた」ということです。
とはいっても、バランス良く落ち着いてきた背景には、別な要素もある。前線のワシントンとポンテ。ここからは、ギドの発言を受けた私の分析です。
この二人は、たしかに守備をするようにはなってきました。それでも、彼らのディフェンスにおけるスピードや勢いに代表されるダイナミズム(実効レベル)は、2004年当時のエメルソンや田中達也、はたまた山瀬功治(そのタイプの選手たち)の比ではない。やはり、ワシントンやポンテ(はたまた小野伸二!?)といった才能プレイヤーには、守備で多くを期待できないという「ポイント」が、分析では大変重要になってくると思っていた湯浅なのですよ。
要は、ワシントンやポンテの「守備プレーのコンテンツ」をしっかりとイメージして守備ブロックをマネージしなければならない・・ということです。だからこそ、山田暢久、長谷部誠、鈴木啓太で構成する「ダイナミック・トライアングル」の、攻守にわたる機能性こそが、2006年シーズン優勝のもっとも重要なキーポイントになった。ギドは、そのことを「バランス感覚」という表現に託したのでしょう。
特にワシントンという絶対的なゴールゲッターの加入が、レッズサッカーの「ニュアンスの変化」に与えた影響は大きかった。前述したディフェンスでも、また攻撃でも。
マグノ・アウベス、播戸、二川、遠藤、明神、そして加地と家長といった(特長ある)個の才能たちが演出する、人とボールが流れるように動きつづけるダイナミックで美しいガンバの組織サッカー。組織と個が高質なバランスを魅せつづける。組織プレーがうまく機能するからこそ、個人勝負の効果レベルも最大限に高まるというわけです。
そんな、サッカーの美しさを志向するイメージリーダー(ライバル)がいたことも、レッズのサッカーが「地味で堅実」に映った背景にはあったよね。そこでワシントン。
前述したように、選手の特性によってサッカー内容のニュアンスは変化します。ガンバの場合は、播戸にしてもマグノにしても、トップ選手たちは、ボールがないところで動き回ることでウラのスペースを活用しようとする。それに対してワシントンは、動かずに足許パスを要求するなど、まさに「最前線のフタ」のようなプレータイプ。
ワシントンがいるから、以前のように、人とボールが素早く広く動きつづけるコンピネーションを基盤にスペースを活用するという組織的な仕掛けプレーを繰り出していき難いという反面、彼のスーパーなポストプレーが上手く機能したときには、その周りに出来てくるスペースを(後方から押し上げて入り込むことで)味方が使うことができるし、彼のヘディングという大いなる武器に対する最終勝負のターゲットイメージもチームに浸透させることが出来るとういう利点もある。
とにかく、ワシントンが素晴らしいゴールゲッターであることは確かな事実だけれど、彼の(プレースタイル)ために、組織的な仕掛けが以前ほどうまく機能しないという側面も否定できない。諸刃の剣・・!? まあ、だからこそ「バランス」ということか。
このワシントンというテーマについて、ギドはそんなに深く乗ってくることはありませんでした。だから前述した内容の多くは私の分析。ワシントンという絶対的ストライカーの活用については、後任のホルガー・オジェックに委ねられることになりました。ホルガーのチーム作りでは、もっとも興味を惹かれるポイントではあります。
それ以外にも、ギドとは、日本人というテーマも話し合いました。
彼がまだレッズでプレーしていた頃、私に言ったことがあります。「例えば1-0でリードしている状況だけれど、ドイツ人だったら、高い確率でそのまま完封できると思う。でも日本のチームの場合は、難しいよな」。
「そうそう、そう言ったことは今でも鮮明に覚えているよ」と、ギド。そのイメージは今でも変わっていないのだろうか? 「いや、それについては、大きく変わったな。いまでは、日本のプレイヤーも、個人の責任でしっかりと決断し、勇気を持ってプレーできるようになっている。リスキーなプレーにも積極的にチャレンジできるようになっているしな。それこそが勝者のメンタリティーのバックボーンということだよな」。
プレイヤーとしてレッズに所属していた頃のギドは、個人の責任を回避するために組織のカゲに逃げ込むという日本人選手のマインドを敏感に感じ取っていたのです。イレギュラーするボールを足で扱うという、瞬間的に状況が変化してしまうサッカーでは、そんなマインドは、まさに敗者のメンタリティー。それが、この10年で大きく様変わりしたというのです。
そこでは、世界的な国際化や情報化の波も影響を与えていることは言うまでもありませんが、まあ、基本的には狩猟民族のボールゲームであるサッカーの本質的なメカニズムに対する理解が進んだということでしょうね。ギドも、「そう、そういうことだよな」とアグリーしていた。
まだまだギドとの会話は尽きないのですが、今日はこのあたりで・・。いま新しい本を書こうとしているのだけれど、そのなかにも、ギドとの対話は大いに挿入しようと思っています。もちろん、この「メモ」も含めてね。また機会をみて(自分自身のモティベーションと相談して)「メモ」を膨らませていくつもりです。
[ トップページ ] [
Jワンポイント ] [湯浅健二です。
]
[ Jデータベース ]
[トピックス(New)] [
海外情報 ]