The Core Column
- The Core Column(5)__「天才」のブレイクスルー・・中村俊輔のケース・・・(2013年10月1日、火曜日)
- ■本場を唸(うな)らせた世界デビュー・・
「ナカム〜ラは、素晴らしかった・・彼は、イタリアでプレーしているんだよな・・まあ聞いてはいたけれど、実際に見たら、本当に良い選手だと実感できたよ・・」
2005年6月、ドイツで行われたコンフェデレーションズカップ。
日本は、アジアのチャンピオンとして出場した。わたしも現地で取材していたのだが、そこで、友人のドイツ人ジャーナリストから、そんな声をかけられた。
まあ、必要ないだろうけれど、取り敢えず・・。「ナカム〜ラ」とは、中村俊輔のことですよ。
そこで彼が展開した「良いプレー」については、大会のベストイレブンに選出されるなど、フットボールネーションの強者エキスパートたちにも強烈な印象を残したわけだから、推して知るべし・・
そして、その活躍によって、名門グラスゴー・セルティック監督ゴードン・ストラカンに請われてスコットランドへ渡ることになったというわけだ。
伝統あるスコティッシュクラブ、グラスゴー・セルティック。
そこで4シーズンを過ごした中村俊輔は、何度もリーグやカップの優勝に大きく貢献しただけではなく、MVPにも選出された。
それも、選手協会や記者協会によるMVP選出だから格別の価値がある。中村俊輔が、今でも、歴代の名プレイヤーの一人としてセルティックの歴史に深く刻み込まれているのも道理なのだ。
2012年のロンドンオリンピック。
日本代表の初戦(スペイン戦)が、グラスゴーのハムデンパークで行われた。そこで、日本から訪れた報道関係者やファンの方々は、中村俊輔が、歴史に残る名士として今でも敬愛されていることを体感したということだ。
■日本への復帰・・そして存在感がレベルを超越していく・・
その中村俊輔だが、2010年に横浜Fマリノスへ復帰し、皆さんもご存じのとおり、チームの絶対的な中心として目を見張る活躍をつづけている。
ボールを持てば、天才的なコントロール、フェイント&突破ドリブル、そして正確な展開パスやキラーパスなど、素晴らしいゲーム&チャンスメイクを披露する。
また、セットプレーでの正確なキックは言うまでもなく、チャンスとなったら、リスクを冒して自らシュートをブチかます。
そんな天賦の才に恵まれた中村俊輔だが、実は、豊富な運動量をベースに、攻守にわたるボールがないところでのハードワークに「も」心血を注ぐプレー姿勢こそが、彼の真骨頂なのだ。
本場のエキスパートたちからも高く評価される中村俊輔。
そのバックボーンが、ボール絡みの天才プレーと、 強烈な意志に支えられた攻守のハードワークの両面が「実効あるバランス」を魅せつづけていることにも由来している。
フットボールネーションでは、彼のような「天才的に上手い」プレイヤーが、あれほどの汗かきハードワークに「も」エネルギーを傾注することは、とても希有な事例であり、だからこそ本場エキスパート連中を唸らせ、深い感銘を与えるのだ。
そして、だからこそチームメイトからも高く評価され、信頼される。彼にボールが集まるのも道理じゃないか。
もちろん、彼のところでボールの動きが止まったとしても、決して周りのチームメイトの足が止まることはない。
彼らは、中村俊輔がキープしても、それはボールの動きの無為な停滞ではなく、あくまでも、次の最終勝負への「創造的なタメ」だと分かっているのだ。
■日本代表へ復帰する可能性は?
そんな中村俊輔だけれど、いま、もっともホットに取りざたされている話題の一つが、日本代表への復帰であることは皆さんもご存じの通りだ。
先日の「J」、エスパルス戦後の記者会見で、アフシン・ゴトビさんも疑問を投げかけていたっけ。
どうして中村俊輔は、日本の代表でプレーしていないのか?
そりゃ、いまのパフォーマンスを見たら、誰だってそう思うさ。
とはいっても、チームの中心プレイヤーとして機能すべき中村俊輔だからこそ、いまの日本代表へのインテグレート(組み込み)作業は、簡単じゃない。
そう、彼が入ることで、チーム内での「互いに使い・使われるメカニズム」が変容し、チームワークの機能性にも何らかの影響が及ぶことは必至なのだ。
でも私は、中村俊輔の「代表チームへの組み込み」というディスカッションについて、「いま」の彼のプレー姿勢に、一つの光明を見出している。
彼は、攻守にわたるハードワークを絶対的なベースに、自分のプレーイメージを組み立てているのである。
私は、いまの彼だったら、ボールが「集まるべき」チームの中心選手として「だけ」ではなく、一人のチームワーカーとしても十分以上に機能すると思っているのだ。
まず忠実なチームプレイヤーとして「も」貢献することで、仲間の共感と信頼を勝ち取り、それを基盤に、真のチームリーダーとしての存在感を確立する。
期待がふくらむではないか。
まあ、とはいっても、中村俊輔ほどの存在だから、自身のプライドも含め、そう簡単に「ポジティブなインテグレート」は進まないかもしれない。
とにかく今は、代表チーム(その中心的なプレイヤーたち!?)にとっての、これ以上ないほどの「強烈な刺激」として機能してくれている中村俊輔に、感謝しようじゃないか。
■これまでの中村俊輔・・
ところで、今では、天才的な個人プレーと忠実な汗かきハードワークが最高のバランスを魅せつづける中村俊輔だが、その「域」に到達するまでには、様々な紆余曲折もあったんだよ。
先日の2013年9月21日、「J」第26節、マリノス対エスパルス戦。
たしかに中村俊輔は、エスパルス村松大輔のハードな「オールコート・マンマーク」を受け、いつも程には才能プレーを展開できなかった。
それでも私は、ボール絡みの天才プレーだけではなく、攻守にわたる、ボールがないところでのハードワークに「も」心から舌鼓を打っていた。
何度も、チームメイトを手で制し、自分が、全力スプリントで相手ボールホルダーへチェイスしていく忠実なディフェンスシーンを目撃したっけ。
またこの試合では、素晴らしいボールコントロールで相手マーカーを置き去りにし、左足で、超絶なミドルシュートもブチ込んだ。まさに、スーパー決勝ゴール。
彼が展開した、攻守にわたるハードワークに、心からのシンパシーを覚えていたからこそ、そのゴールから受けた感銘はひとしおだった。
ところで、このゲームが行われた会場。
その日、「B’z」のコンサートが催されるということで、日産スタジアムではなく、ニッパツ三ツ沢球技場だったのだが、そこでゲームを観ながら、ハッと、以前の記憶がよみがえった。
忘れもしない、桐光学園高校の選手だった中村俊輔を初めて観たのも、この三ツ沢球技場だった。当時、神奈川県サッカー協会の技術指導委員会メンバーとして、中村俊輔の評価を頼まれたのだ。
そのとき、まず彼のボール扱いに度肝を抜かれた。
上手い。
素晴らしく正確で素早いトラップ、創造性あふれるボールコントロール、そしてそこから繰り出される鋭いチャンスメイク。まさに天才。そう思った。
しかし同時に、ボールがないところでの動きが甘いだけではなく、守備もおざなりという印象も残った。そのとき私は、「上のレベルにいったら苦労するだろうな・・」、そうも感じていたのだ。
当時の中村俊輔は、チームメイトたちが汗をかいて彼にボールをわたすという「プレー環境」に慣れ切っていた。彼のプレーイメージは、組織的なハードワークという発想から、もっとも遠いところにあったのだ。
当時彼は、もちろん、国体へ向けた神奈川県の高校選抜にも選ばれていた。
そのときの選抜チーム監督は、私が、「社内プロフェッショナル」として敬愛する清水好郎先生。私の母校である、神奈川県立湘南高等学校の教諭(もちろんサッカー部顧問)も務められた。
その清水先生と、何度か、中村俊輔について語り合ったことがある。
そこでは、中村俊輔の「仕事量の少なさ」に危機感をもった清水先生が、国体高校選抜のトレーニングで、そのプレーイメージの矯正にトライしたという興味深いハナシもあったっけ。
その経緯については、筆者HPの「The 対談」コーナーも参照していただきたい。
■いよいよ大人の仲間入り・・そして・・
そんな中村俊輔のプレー姿勢だが、それは、マリノスに入団してからも大きく改善されることはなかった。
年長のチームメイトも、彼の天賦の才を「より効果的」に活用するためのハードワークに、抵抗感がなかったのである。
ただ、そんなプレー姿勢は、フットボールネーションでは通用しない。彼は、(宇佐美貴史と同様に!)世紀の大天才、ディエゴ・マラドーナではないのだ。
中村俊輔は、2002年7月、イタリア、セリエAのレッジーナへと活躍の場を移した。
ただそこには、本場の才能プレイヤーがいる。強烈な自己主張をブチかます猛者がいる。しかし、中村俊輔のために積極的に汗をかこうなどという殊勝なプレイヤーは、いない。
そんなだから、ボールがないところでの動きの量と質(攻守のハードワーク)に問題をかかえていた中村俊輔にパスが回されてくる頻度がダウンするのも自然の成りゆきだった。
彼の才能は、なるべく多くボールに絡むことで「のみ」光り輝くのに・・
そして、ケガにも見舞われた中村俊輔は、出場機会を失っていく。
ところが、そんな悪循環が、あるときから好転しはじめるのだ。
その背景要因は今でも分からないけれど、2004-05年シーズンに入ってから、攻守のハードワークにも全力で取り組みはじめるなど、中村俊輔のプレー姿勢が、まさに180度の大転換を魅せはじめたのである。
それは、私にとっても大きな感動だった。
そして、その変身の胎動が、冒頭の2005年コンフェデレーションズカップで大きく花開き、そこから順風満帆の進化をとげた成果として、今の彼があるというわけだ。
私は、これまでに何度も、「天才」の覚醒(ブレイクスルー)プロセスを体感してきた。ただ逆に、その何倍もの「天才の凋落」も見せつけられた。
だからこそ、天才の覚醒ほど感動的なものはない・・と、心から思える。
そのキッカケは、何なのだろうか。そのテーマを突き詰めたい。
自分自身で気付くといった自覚の深まりによるケースもあるだろうし、コーチやチームメイトの一言、はたまた家族の存在など、様々な「外的刺激」が誘因になることもあるだろう。
「天才の覚醒プロセス」は、まさに千差万別。だからこそ、コーチにとっての永遠のテーマなのだ。
ちなみに、中村俊輔のキッカケは、結婚と、子供を授かったことだったと思うのだが・・
■そして、宇佐美貴史・・
前回コラムでは、宇佐美貴史は中村俊輔を手本にすべき・・と締めた。
宇佐美貴史にとっても、中村俊輔という「天才的プレイヤー」は、レスペクトに値する目標だと思うのだ。
もちろん、チーム戦術的な役割のタイプや、局面でのプレーイメージは少し違う。
でも宇佐美貴史は、才能に恵まれているからこそ、攻守にわたるハードワークを増幅させることによって、より多く、そして良いカタチでボールに絡まなければならない。
そのポイントで、中村俊輔から学ぶことは多いのだ。
とにかく、このままでは、その才能を大きく開花させるのは難しい。それでは、日本サッカーの宝でもある希代の才能が、あまりにも惜しいじゃないか。
でも彼は、まだまだ「これから」なんだ・・
何せ、まだ21歳の若者だし、「あの」中村俊輔だって、25-26歳になって「ホンモノのブレイクスルー」を果たしたのだから・・
そして、だからこそ、ガンバ大阪の「優れたストロング・ハンド」、長谷川健太監督への期待が高まっていくのである。
あっと・・。今回の中心テーマは、中村俊輔だった。
でも、まあ、中村俊輔のことだから、若手をモティベートするために自分が「ダシ」に使われること「も」許してくれるでしょ。
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重ねて、東北地方太平洋沖地震によって亡くなられた方々のご冥福を祈ると同時に、被災された方々に、心からのお見舞いを申し上げます。 この件については「このコラム」も参照して下さい。
追伸:わたしは”Football saves Japan”の宣言に賛同します(写真は、宇都宮徹壱さんの作品です)。
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ところで、湯浅健二の新刊。三年ぶりに上梓した自信作です。いままで書いた戦術本の集大成ってな位置づけですかね。
タイトルは『サッ カー戦術の仕組み』。出版は池田書店。この新刊については「こちら」をご参照ください。また、スポーツジャーナリストの二宮清純さんが、2010年5月26日付け日経新聞の夕刊 で、とても素敵な書評を載せてくれました。それは「こちら」です。また、日経の「五月の書評ランキング」でも第二位にランクされました。
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